Archive: 2006

ブエノスアイレス2006 #3

ビエン・プレンタの夜

さて、3つ目のミロンガライブの会場は「ビエン・プレンタ」。本番は6/17。一週間前のミロンガに下見にでかける。ここはなんと世界三大劇場のひとつにも数えられるコロン劇場ができるまで、ブエノスアイレスのオペラハウスとして多くの人々に愛されていた劇場跡.。ジツに由緒正しい。

そういうわけでここには立派なステージがある。そしてその奥にステージ面よりも更に高くしつらえられたバンド用ステージが常設されている。そしてステージ全体が客席に向かって傾いている。おっとっと、つんのめりそう。ダンサーの足が下で座っていても見えるように、かもしれないがそうでないかもしれない。ミロンガの合間にはショウなんかもあって。

ステージ下手にはグランドピアノが鎮座。ところが…、なんとそれは外側だけ。中身はカラッポで、鍵盤のところにデジタルピアノが押し込んである!ひゃーすげー。こんなの初めて。ケイトさん嬉しそうに写真をとりまくる。

ブエノスアイレスには色んなミロンガがあって、それぞれに雰囲気や空気が違う。会場、集まる人たち、主催者、かかる音楽…それぞれに違いがあり、面白いのだ。ビエン・プレンタはぐっと落ち着いた雰囲気。

さて、この日はここに来るまでにカフェ・トルトーニでのショウを見に行く。トリオ・ロス・ファンダンゴスにとってはお馴染みのエドゥアルド・「師匠」マラグァルネラの息子のディエゴさんがヴァイオリンを弾いてた。バンドネオン、バイオリン、ピアノ、エレキベース(!)、歌手が男女ひとりずつ、そしてダンサーが一組。ライブチャージが30ペソ。演奏は洒脱で手慣れた感じ。いよっ!タンゴ芸者!歌手たちのデュオが楽しかったなあ。芸人ですわほんま。

そういえば滞在中、他にもライブやコンサートに行きました。たとえば6/15には、サロン・カニングのミロンガの主催者であるオマールさんが仕掛けるクラブ系タンゴイベントに。我々が着いて次の日に軽くリハーサルをやったあのスタジオの2階が会場。開場時間までまずは1階で若いタンゴ楽団が前座演奏。そしてやがて2階へ案内され、本編開始。ギターと歌のトリオによるライブ(このトリオで歌をうたっていたのはナント、ティエンポで友だちになったあのカルロスのCDで歌ってた女性だった!いや世界は狭い。

そういえばイデアールのときにお会いした日本人の女性がおもしろい事を教えてくれたっけ。彼女が別のミロンガで踊っていたらそこで出会った知り合いに「こんなところで踊ってる場合じゃないよ、今夜はイデアールに行け、トリオ・ロス・ファンダンゴスっていうのが日本から来てる。こいつらはハートで、魂で演奏するヤツラなんだ。絶対に聴くべきだ!」って言われて来た、だって。誰?その人?ってきいたらこれまた「カルロスって言うんですけど…」だって。うわはは、ありがたいこっちゃカルロス!ティエンポにタンゴダンス教えにきていたクセに我々と一緒にやるときは決して踊らずとにかく歌いたがったおもしろいヤツ。ありがたいことです。でも本人とは結局会えず。会いたかったナア。

そういえばフロリダ通り散策にでかけたときには、ストリートタンゴやってるダンサーたちに遭遇した。それは随分前にマラグァルネラ楽団と一緒に来日した時に行橋で会ったホセ・カルロスだったし(彼は我々のこと、覚えてた!)、一緒に踊ってたのはなんとこれまたティエンポ講師として来ていたジョアンナだった。地球の裏側でまた出会って、おーひさしぶり!なんて挨拶してる。不思議な感じ。そうそう、ここでもケンジ&リリアナはバンバン踊ったのでした。オオウケ)。タンゴでまっすぐつながる、福岡とブエノスアイレス。

閑話休題。オマールさん主催の深夜のタンゴイベント。モダンダンス、コンテンポラリーダンスとタンゴなどをあわせたようなダンスパフォーマンスを経て、いよいよトリの「エル・バゴン」登場。アコーディオン、ヴァイオリン、エレキギター、エレキベース、パーカッションの5人組。これがプログレやジャズの要素も取り入れたタンゴの演奏を繰り広げる。

ヴァイオリンはどこかで見たような、と思ったらフェルナンデス・フィエロのヴィオリニスタのひとりだった。暗い店の中に蝋燭の火が明滅し、色んなものを呑み込みまぜこぜにしたような音楽がその空気をさらにねっとりとした肌合いにしていく。突然主催のオマールさんがケンジ&リリアナを呼び出す。そして即興のセッションを提案。エル・バゴンの「リベルタンゴ」と、ケンジ&リリアナ。当たり前のように踊り出す2人。ここでも、彼らはこの場に満ち漂う空気を身に纏い、踊り、やがてその空気を味方につけていく。

タンゴは古い音楽ではない。今、生きて、息づいて、蠢き、身をくねらせ、飛びはね、疾走している。そう思わせられるひととき。

翌6/16にはコロン劇場へ。これああた、ビエン・プレンタと比べ物になりませんがな。ああ、びっくりした。室内管弦楽団が合唱団と繰り広げるサリエリとモーツァルトの夕べ。ああもう、すごいやこのホール。人間は芸術を楽しむためにこんなもん作っちゃうんだなあ。バルコニー席が実に6階も。最上階は天井桟敷、立ち見席。天井はドームになっていて見上げると吸い込まれそうになる。

写真撮ってて「ノー、カバジェーロ、ノー」と係の人に怒られちった。入場料は150ペソ。こいつはやはり高い。それでも日本よりは安いかな。実に気持ちのいい、弦楽器中心の室内楽の響き。それに加わる人間の声のハーモニー。それが上から降ってくる。ああもうたまらん。ぐぅ。極上の眠りでした。贅沢でしょ。他のみんなはみんな起きてちゃんと聴いてたって。いやあ、アタシの聴きかたが一番よ。わはは。それにしてもコロン劇場のカフェのケーキ類…。あれはいかん。でかすぎる、重すぎる、固すぎる、甘すぎる。あんなもん食ってたら身体にいいわけないよわかっちゃいるけどやめられないのかなあブエノスアイレスのシトたちには。参りました。

そして翌日6/17がビエンプレンタ本番。ステージは通常上手からバイオリン、中央にバンドネオン、そして下手にピアノという配置になっているらしい。でもファンダンゴスのいつもの配置に変えてもらう。アコーディオンは右手の鍵盤の横の部分から音が出る仕組みになっているので、向かって左側に立つと音がよく聞こえるのでありますね。そんなわけで。

今回の音響エンジニアはイデアール、カニングでエ爺と名コンビになったゴンサロではない。ビエンプレンタ付きの音響担当者。この並びに変えることを何となく面倒くさがってる空気。でもお願いして、きいてもらう。

ミロンガでの演奏はすでに3回目。MCまで緊張するアタクシもいつもどおり。わはは。ただ、ビエンプレンタでのケンジ&リリアナのデモは、これまでと違っていた。ケンジさんが「今日は一曲目でミロンガ・トゥリステをやるよ」という。「夏は?」ときくと「しない。そのかわり、フェリシアをやる」という。彼の「読み」があるのだろう。我々としてもフェリシアが一緒にできるのはうれしい。了解。やりまっせ。

ステージから遠くフロアで踊る2人を見ながら。深く沈み込むミロンガ・トゥリステ。そこから一転して華やかに明るく笑いを誘いながらのフェリシア。お客さんはこの振幅の広さ、落差のダイナミズムに大喜び。

2部の演奏が全て終了すると、ありがたいことにまたもや大拍手喝さい「オートラ!オートラ!」アンコールはカニングでオオウケした台風。フロアでみんな楽しそうにガシガシ踊る。そして途中からステージ上にケンジ&リリアナも登場。うほーい。またいいタイミングでホールのスタッフがスモークを焚いてくれる。いや焚いてくれるというよりも噴射!真横からブシュー!わはは、ええタイミングですわ。曲知ってるからこそ、の。動画がミホさんのブログに早々とアップされておりました。こちら。「無修正?!”TLF for EXPORT”」の項”TLF EN SABOR”をクリック!

そんなこんなで、”Peron 2543″(ペロン・ドスミル・キニエントス・クアレンタイトレス!)にある「ビエン・プレンタ」の夜。

ブエノスアイレス2006 #2

やったぜサロン・カニング!

コンフィテリア・イデアールでの「デビュー」の興奮冷めやらぬまま、翌日6/9の金曜日の夜は次の現場「サロン・カニング」のミロンガへ。翌週月曜日に予定されているライブの下見も兼ねて。

サロン・カニングは、数あるブエノスアイレスのミロンガの中でももっとも知名度の高いミロンガのひとつ。この夜もイデアールよりもずっとお客さんは多く、フロアは賑わっている。それでもケンジさん曰く、「シーズンオフだから少ないよ、一番混むときの半分程度かなあ」。うえええこれで半分!と驚く。

そんな中、年配のカップル「ポチョ&ネリー」のダンスデモンストレーションがあった。2人で年輪を重ねながら歩んできた日々の想い出が、そのままダンスになって、会場中の静かな、そしてやさしく、熱い視線の真ん中に、あった。派手さもない。速い動きもない。ただただ、抱き合って、ゆっくり踊っている。しかしところどころで会場からは拍手が沸き起こる。そして彼らがダンスを終えたとき、深い深い拍手が会場を満たした。彼らのダンスへの、人生への、そしてタンゴそのものへの尊敬と愛情を込めた、拍手。涙が出た。これがブエノスアイレスなんだ。このときに、そう感じた。

そうしていると突然「ドン・ファン」が鳴り響いた。なんとCD「トリオ・ロス・ファンダンゴス3」の一曲目の「ドン・ファン」だ!主催者のオマールさんがフロアの真ん中に出てくる。役者でもある彼は、会場中によく通る肉声で語り始める。「ちょっとみんな静かにしてくれるかな。ありがとう。この演奏に少しだけ耳を傾けてほしいんだ。…どう思う?いいだろう?これが日本のタンゴ楽団だって、信じられるかい?彼らは、三日後、ここで演奏するんだ。そして今日、ここに来てくれている。紹介しよう。トリオ・ロス・ファンダンゴス!そしてケンジ&リリアナ!」突然紹介されて慌てて3人はケンジさんたち共々立ち上がり、みんなの拍手を受ける。驚いた。そんな風に紹介してくれるなんて。いつの間にかリリさんが手渡していたCDをオマールさんは早速聴き、こんな風に紹介してくれたらしい。

サロン・カニングのミロンガの主催者であるオマールさんは、新しい感覚で次々に面白いタンゴイベントをしかける人だとケンジさんが教えてくれた。古い教会の廃墟を会場にしたアングラミロンガで、今ブエノスアイレスに留まらず世界中の注目を浴びているエレクトロタンゴの「ナルコタンゴ」のライブを企画し、ケンジ&リリアナのダンスをこれに絡めたのも、彼だとケンジさんが話してくれた。そんなわけでサロン・カニングには若い人たちも大勢やってくる。そうそう、みんなが踊るために会場でかかるタンゴの合間合間に雰囲気を変えるために流されるコルティーナも、ここではなんとラモーンズやブラック・サバス!エ爺、狂喜。

ここで演奏するのかあああああ、みんなどんな反応するかなあ、やったるどおおおお、とまたゾクゾク。

さて、実は、サロン・カニング公演の前に、もうひとつミニコンサートがあった。6月11日の日曜日、滞在中のサンテルモ・コロニアルのパーティーでのライブ。主人イネスの友人たちやケンジさんの友人ベトさん夫婦、そしてかわいいモルガナちゃんも来た。

普段着の、そして気の置けない友人たちの集まりでの、生音の、ミニコンサート。ケンジさんは事前にやっぱり「まあ、2曲ぐらいにしとくかな」なんて言ってる。で、予想通りやっぱり2曲おきに出てきて踊る。イネスの息子さんエミリアーノはなんと慶応大学の大学院を出ていて日本語ペラペラ。そこで通訳をお願いし、やっと色々しゃべりながらライブができる状態に。ふぃーありがたや。でもスペイン語MCでも拍手もらいました。「ペロン ドスミル キニエントス クアレンタイトレス」「うおおおお、ぶらぼおおお」。いや、あのね、6/17演奏予定のビエン・プレンタの住所言うただけやん。こんなことでウケるのに慣れたらいかん。芸が荒れる。わはは。

パーティーに来ていた、コロン劇場にも出演した経歴を持つオペラ歌手の方と「想いの届く日」をセッションしたり。みんなに「カンパーイ」と日本語で言わせて「酒宴の一夜」を始めたり、楽しいひととき。タンゴ楽団は色々いるけれども、あなたたちのスタイルは古きよきタンゴのよさがあって、リズムがはっきりしてて、いい!なんて誉められちった。延々演奏。そろそろ、とやめようとしたら「じゃ、休憩にしましょう。少しみんなで飲み食いしてその後でまた」なんて。で、手作りのうんまいエンパナーダなんかついばんで、のんびり。で後半も延々。終わろうとすると「もっともっと!」。ミロンガでは演奏できないタイプの曲「ブエノスアイレスの冬」もやって。でもよかったなあ、ブエノスアイレスで、とってもあたたかい人たちに囲まれて、「ブエノスアイレスの冬」。なんか色んなこと、思い出して、胸いっぱいになったひととき。

さて、一体何曲アンコールしたかな、というくらいやって、やっと演奏終了。なんとその後、タンゴのダンスの世界大会ブエノスアイレス予選会場にケンジさんとアタクシ2人で出向く。どんなもんかいね。ほほお、これまたたくさんの人!でもなんだかパーティーでの演奏で疲れたせいか、意識が朦朧としてふぅっと遠ざかるぅ。ケンジさんも舟をこぐ、アタシも舟をこぐ。ぎっちらこぎっちらこ。もう帰りましょ。で失礼することに。ミナサンごめんなさい。そうそう、日本の大会ではタナディーズが優勝の快挙!やったぜ!おめでとう!

さて、翌日、6月12日の月曜日。夕方5時に一旦会場サロン・カニングへ。すでにゴンサロとエ爺は意気投合、近くのカフェでお茶なんてしてる。エンジニア同士、やっぱり通じるんですなあ。で軽くサウンドチェック。最初の一音からみんなにちゃんと届けたいもんね、やっぱり(ここでまた某小松亮太氏のことを思い出しそうになるが…以下略)。

チェックが無事終了し、一旦サンテルモに戻る。この日に限らず移動は大抵タクシー。初乗り1.98ペソ(1ペソは約40円)、つまり約80円。不思議なんだけれど、サンテルモ地区には独特の空気というか雰囲気があって、タクシーがサンテルモに入るとそれとわかる。なんとなくほっとする。いわゆる「下町」。庶民の町。

実はこの夜は、オルケスタ・ティピカ・フェルナンデス・フィエロのライブに行くことになっていた。われわれの今回のツアーの制作を取り仕切ってくれたミホさんが「あるけど行く?」とすでに到着翌日のミーティングの時に声をかけてくれていた。日本でケンジさんたちを通じてCDは手にしていた。ガラス瓶を割ったのを手に握って相手に挑みかかろうとしている男のアゴから肩、腕、手元だけがレンガの壁をバックに配置されたファースト。そして建設中の道路の上からアップライトピアノが落下している瞬間の写真のセカンド。どちらにしても、危険な香りプンプン。アングラ臭の、タンゴ。ええですなあ。CDで聴く限り演奏もなんともいえない暗さ、重さが充満したパワフルなもの。ライブが見れるなんて願ってもないチャンス。イチもニもなく「行く行く!」でもミホさんは前もって再度確認してくれた。「予定通り行きます?それともサロン・カニングのライブの直前だから集中する?」…「行く行く!」全員やっぱりイチもニもなく。

会場は少し大きめのライブハウス。「勝井くんもここでライブやったんだよ」とリリさん。渋さ知らズやROVOなどで大活躍中のヴァイオリン弾き勝井祐二氏のこと。ほええ。フェルナンデス・フィエロ楽団はここで毎週ライブをやっているのだという。それでこの入り。すごい人気。ちなみに入場料は14ペソ(560円)。
10時開演予定。しかしやはり、押す。5分、10分、15分。なんのアナウンスもない。メンバーの一人なんてステージ下で彼女といちゃついてたりして。20分、25分。なんと今頃メンバーの一人が駆け込んできたりして。そして30分以上。いつのまにか満員になった客席から次第にじれたお客さんの手拍子が始める。

そして…。なんとも重々しく悲しげな演奏が始まり、それに合わせて幕がシズシズと開かれていく。アングラテント芝居の雰囲気!ステージにはあちこちに大きな爆弾のオブジェが置いてある。オルケスタの後ろには火を吹いている蓄音機をデザインした巨大な旗。バンドネオンが4人、ヴァイオリンが3人、ビオラにチェロが一人ずつ、ピアノ、コントラバス、そして歌手がひとり、総勢12名。ジーパンにTシャツ、ロングヘアーにピアス。バンドネオンのひとりはドレッドヘアー。バンドネオンの革ベルトのところにはスパイクが。パンクだ。ヘビメタだ。全員複雑なアレンジの曲を暗譜でガンガン演奏する。ヘッドバンギングしながら弾きまくるバンドネオン。マイクに挑みかかるようなヴァイオリン。物凄いヘヴィなグルーヴと疾走感。歌手も一般的なタンゴ楽団の歌手によくある、タキシードに撫で付けた髪、などではない。最初登場したときには透明のマスクをかぶっていきなり出てきてそのまま歌い、マスクを取る事もなく何も言わず引っ込んだ。その後もステージ奥から変なラッパの音を鳴らしたり、余り喋らないメンバーの代わりにピエロを演じ、怒涛のMCを展開し、そして、歌いまくる。この歌が本当にうまいし、パワフル。ロックヴォーカルかやはりアングラ芝居なスタイルとでも言うべきか。満座のお客さんの心をわしづかみにし、握りつぶすような歌。照明も完全にロックバンドのそれ。すごい演奏だった。タンゴは「再生芸術」「保存芸術」なんかじゃない!現在の、今の、生きた表現なんだ!そのことがはっきりと示された演奏。ええもん見させていただきました。感謝感謝。

さあて、いっぱいエネルギーをもらって熱くなったところでいよいよサロン・カニングへ。到着するともうどんどん人が踊ってる。雰囲気は明らかにイデアールの落ち着いた感じとは違う。色んな人が入り混じり、タンゴが渦を巻いている。

ステージに向かう。いよいよ演奏だ。2ステージに分けて、7曲ずつを予定。件のオマールさんが司会をしてくれる。「紹介しましょう!トリオ・ロス・ファンダンゴス!」来た!この瞬間、たまりません。一曲目はイデアールで一曲目としてやって手ごたえのあったガショシエゴで行く。みんなの目が注がれる。静まり返り、音を待つ、サロン・カニングの空間。力をぐっとためて、音を、放つ。さあ、飛んでいけ!イデアールのみんなの拍手や熱い抱擁、サンテルモコロニアルのみんなの温かさ、ぼくらのブエノスアイレス公演を実現してくれたチノ&ミホの熱い思い、仲間として先輩として、そして家族としてここにぼくらを連れてきてくれたケンジ&リリアナの眼差し、そしてさっきまで見ていたフェルナンデス・フィエロの激しく狂おしい演奏…。それら一切を吸い込んだファンダンゴスの音。ぐいぐい、いく。おっと、ブエノスアイレスの肉も、我々のミカタだ!

やはり誰も踊らないでじっと見てる。お、途中から一組、二組。それでも殆どの人たちが固唾を飲んで見詰めている、そんな空気。やっぱり聴いてる!イデアールの時と同じ空気。ピンと張り詰めた、何かが漲り、そして膨らんでいく、そんな空気。

そして、エンディング。やっぱり、来た、カニングのお客さんみんなの、拍手喝さいと、飛び交うブラボー!よっしゃっ!

さて、やっぱり緊張のMC。ふひー。ところがおもしろい事が発生。こちらが詰まると、なぜか次の単語を会場のあちこちで既に先回りして叫んでくれる人が。それがまたカンペに用意したことばとぴったり同じ。おもしろいようにばれてる。みんな笑いながら助けてくれる。そして何とか言い終わるとまた拍手喝さい。ええなあこれ。簡単なこと言うだけで拍手。喜んでるバヤイじゃないか。芸が荒れる。わはは。みなさんありがとう。ことばをひとつひとつ覚えていく時のこどもってこんな気持ちかな、でも。ひひタノシイ。

そうそう、会場にはベトさんも。彼にはまた新しいのを教えてもらった。「レス インビタモス アラピスタ ケバイレン イ ケディスフルウテン」(みなさんどうぞフロアへどうぞ。踊ってください、そして楽しんでください)。これをまた詰まり詰まり言って演奏を始めるとまた拍手、そしてフロアは踊る人たちで一気に一杯に。

フロアに出て踊っている人たちは一曲演奏し終わるごとに、みんなこっちにちゃんと身体を向けて拍手をしてくれる。目の前の人と踊ることだけしか考えてない、というのではなくて、ちゃんとミュージシャンにも敬意を表してくれる。嬉しい限り、ありがたい限り。そうなればもっと力込めて演奏しようかという気になるもの。いつもそういう感じなんだろうなあブエノスアイレスは…。と思ったら、「違うよ」とケンジさん。「普段はね、バンドが入っていても、曲が終わったらパートナーと視線を交わしながら、拍手する程度。わざわざ楽団の方に毎回毎回向いてみんなが拍手するなんていうのは、見た事がない」。ほんまかいな。本気にしまっせ、もう調子に乗りまっせええええ。ぐへへ、うれしいやないのさ。本当に、フロア中のみんなが嬉しそうな顔をこちらに向けて拍手してくれる。ブラボー!と叫んでくれる。手を頭の上にあげて「拍手してるよ!」というのを見せてくれるお客さんも。いつのまにか踊りの途中の拍手なのに、スタンディングオーベーションみたいになってる。みんな、ほんとうにありがとう。こちらこそ、みんなに拍手したい気持ちです。胸に手を当てて、お辞儀をする。そうせずには、おれなかった。

セカンドステージのオープニングはケンジ&リリアナと共に。「ブエノスアイレスの夏」そして「ミロンガ・トゥリステ」。ケンジさん曰く、「ここのお客さんは、色んなダンサーのデモンストレーションを見てる。だから派手目に踊ってもそんなに珍しくない。「夏」はむしろ、次のミロンガ・トゥリステのための布石、なんだよな」。ううむサスガ、ケンジさん空気を読むねえ。そのケンジさんをもってしても株価の空気を読むのは…。以下略。

静かで深いミロンガ・トゥリステに会場全体が引き込まれていく。ああ、幸せ。こんな瞬間を共有できるなんて。ここ、ブエノスアイレスだよ。そしてサロン・カニングだよ!

大拍手喝采の中、ケンジ&リリアナのデモンストレーションが終わる。CDでデモをやるのとは違う。生きてその場で動く、音楽とダンス。そう、それがこの組み合わせの、いいところ。どんなもんだい!

デモが終わると、みんなが一斉にフロアに出てくる。そして前半にもましての人口密度。その密度で、こちらの演奏のグルーヴと共に、フロア全体が揺れる。ステージから見てても圧巻だった。うれしかった。

いよいよ、2部も終わりの曲となった。「最後の曲となりました。ありがとうございました」とミホさん直伝のスペイン語で言う(カンペ見ながらね)。すると、会場中から「えええええええ!?なんでええええええ!?終わるなよおおおお!もっとやれよおおおおおお!」とみんなが口々に叫び始める。うひゃああ、なんだかすごいぞこの空気!そう思いながら、ラストの曲、ドンファンを威勢良く。

曲が終わると同時に、ものすごい拍手喝采。オートラ!オートラ!の連呼。ぐわあああありがたやーでは、やりますぅぐらしあすぅと、アンコールがもしあったら、と用意していたフェリシアを。そしてこれまたみんな大喜び。ガンガンやって終わる。ふぃーやったぜえええええ。と心地よい達成感と共にステージを降りようとするも、拍手喝采の圧力が強くて降りる雰囲気にならない。信じられないことに、みんながまた「オートラ!オートラ!」とさっきにも増して、叫んでる。うぇえええええほんまかいなこれやってええのかな、と一瞬逡巡してると、フェリシアの時にステージ前まで来て最前列で写真を撮っていたケンジさんがなんか叫んでる。「エル・ウラカン!エル・ウラカン!」ラ・クンパルシータでも、と考えていたのだが、なるほど、と計画変更。さすが空気を読むケンジさん。以下略。

イントロ(別名「山姥のテーマ」)、いつもにも増してケイトさん大爆発。オオウケ、大喝采のサロン・カニング!そして爆演ファンダンゴス。ほんま、台風ですわい。そして、終了。拍手喝采は止まらない。やっぱりオートラ!の声も。でもここはありがたくそれに送られてステージを降りることに。かくしてサロン・カニング大爆演は終わったのでアリマシタ。

大喜びでぼくらを祝福してくれたのは、ミホさんと共に誰よりもぼくらのブエノスアイレス公演を支えてくれたチノさん。「よかったよ、ほんとうによかった!カニングでこういう成功を収めたことは、本当にすばらしい!おめでとう!」と祝福し、抱きしめてくれた。そしてチノさん、ぐっと顔を近づけて曰く「そしてアンコールを2曲で止めたのが素晴らしかった。あそこでやりすぎるとみんな冷めるんだ。さすがだ、よかった!」だって。わはは。

そうそう、終演後、えらい誘いを受けました2つも。その1。「わたーし、イタリーでタンゴフェスティバルを主催していまーす、イタリーに来て演奏しませんーか、あんたたち」。わはは。イタリーだって。その2。「わたーし、アメーリカはヴァジニアでタンゴフェースティバル主催してまーす。演奏しにきませーんか、あんたたち」。わはは。アメーリカだって。ほーんまかいな。そんな簡単に行けるわけがないがな。ブエノスアイレス来るだけでもえらいことやったのに。でも「ワハハ。Si, si. オッケーオッケー、行く行く」ほんまかいな。

そうそう、サロン・カニングのトイレの入口のところは、名物オヤジさんの売店になってる。そこに我々のCDも、置いてもらった。今このときにも、並んでいるのだろう、きっと。また、行くよ、きっと。ありがとう、サロン・カニング。

ブエノスアイレス2006 #1

初めの第一歩 ~コンフィテリア・イデアール編〜

成田でトリオ・ロス・ファンダンゴス+こーちゃん、えじいの5人はケンジ&リリアナと待ち合わせ。前夜は殆ど全員徹夜の一行。リリさんなんか「もう行くのやだ」とか言ってたらしい。だって前夜オリジェーロで後片付け大変だったんだもんそりゃそうだ。そのリリさんを奮起させたのがケンジさんの電話口でのコーチャン真似だったとか。こーちゃんええ仕事してまっせ。

成田で食べた食堂のソバはまずかった。ええいせめてそじ坊にしときゃよかった。「もう東京がわかった」by エ爺。コンチネンタル航空の機内食はまずかった。「もうアメリカがわかった」by エ爺。ヒューストンで飲んだコーラはまずかった。「もう完全にアメリカがわかった」。by エ爺。

ブエノスアイレス・エセイサ空港に着く。思わずぐっと手を握り合う3人。

ところが荷物が出てこない。ストだって。みんなイライラしてる中、踊り始める2人。拍手もらったりなんかしちゃったりして。

ホテルは滞在型の「サンテルモ・コロニアル」。女主人のイネスは社会学の教授で大学で教えている。石畳があちこちに残ってるサンテルモ地区。ええ雰囲気ですこの界隈。歩く時はでも、下を見て。犬の糞が随所に。一説によるとタンゴの、足で地面に輪をかくような足さばきは、踏んづけた犬の糞を地面にこすりつけてる仕草が元になってるとか、なってないとか(byケン爺)。

さて、翌日の夜、早速、最初に出演するミロンガ「コンフィテリア・イデアール」を見学。うわ。なんだかゴージャス。天井は高いし。そしてカウンターの前にはステージが。やがて始まる生演奏は、ベテランのバンドネオン×2、ヴァイオリン、ピアノ、ベースにチェロという6人のオルケスタに歌手がひとり。チェロのひとが一番若い。彼だけ全曲暗譜。なぜだか彼らの演奏を見ていてドキドキしてしまう。おおおお、ここで明日演奏するのかああああ、てな感じでしょうか。

んで、その翌日。まずはスタジオで軽くリハーサル。で、いよいよ夜、くだんの「コンフィテリア・イデアール」へ。出番は25時。ミロンガが始まるのが午前0時だからねえ。でも23時からタンゴのクラスがあるので、22時から23時の間しかサウンドチェックの枠はない。ところがPA関係諸事情あって、結局一音も出せぬままサンテルモに一旦引き上げ。エンジニア・エ爺は残って奮闘してくれることに。すまんねえ。で、ひょっとして、と一縷の望みをもって少し早く会場に戻るも、やっぱり諸事情あってアキマヘン。正PAゴンサロ到着。エ爺は彼の横についてアドバイスをすることに。

いよいよ、ミロンガ開始。サウンドチェックがマッタクできぬまま、前夜にベテランオルケスタの乗っていた舞台にあがる。この舞台がまたぐらんぐらん揺らぐ揺らぐ。その大揺れの舞台の後ろに灯体が幾つもぶら下がった照明スタンドが立てられたりして、コワイ。

1曲目はガショシエゴと決めていた。「頭からガツンとぶちかまさないと、ブエノスアイレスのお客さんはすぐに離れて行っちゃうからね」とここ数年、ケンジさんから言われていたしね。よっしゃやったるで。

せえのっ!と弾きだした途端…「ゾヴァッゾヴァッゾヴァ!」ううううわああああああなんちゅう音やあああああ。ピアノの音量が余りにも上がってて、出音が巨大、完全に割れてる。破壊的ノイズミュージック!3人ステージの上で顔見合わせて思わず吹き出す。これがウワサのブエノスアイレスかあ!

「あの街では何一つ思ったとおりにならないんですっ。音だってひどいっ。ぼくなんて演奏中にとんでもないノイズがPAから発生して演奏にならなかったことがありました。ピーーーーッガガガガァァァ、ブシュルブシュルブシュルギャーーーーーゴゴゴゴゾガアアアアー(以下略)」と某小松亮太氏にかねてからきいていたのでオカシクテしかたがなかったのでした。ハイ。

でもすぐにそのノイズサウンドもおさまり(エ爺&ゴンサロありがとう)、演奏は熱を帯びる。フロアには誰も出てこない。しかし無関心なのではない。みんなが我々の演奏に食い入るように集中しているのがわかる。とにかくこの一曲に力を込めて、演奏する。2曲目なんて、ないかもしれないんだ。

プグリエーセスタイルで演奏するこの曲、最後の部分でリタルダンドに入ったあたりから拍手が湧きあがった!おおお、やっぱりそこで拍手するんだああああ!これだよこれ!そして演奏が終わった途端、まるで台風の突風がぶつかってきたような拍手喝さい。「ブラボーッ」あちこちから叫びがあがる。アルゼンチンの、ブエノスアイレスの、タンゴ好きたちの集まるミロンガで、ファンダンゴスの演奏が受け入れられた瞬間。この拍手喝采を忘れることは、ないだろう。

しかし、そのときものすごく嬉しい反面アタクシ谷本の緊張はピークに。スペイン語でMC入れにゃあならんのですよ。教えてもらったのをメモに書いて、覚えて言うことになってるんだけどああた。いえまへんで、なかなか。聞いてるのはなんちうても生まれてからずっとスペイン語で暮らしてる方々ですよ。こっちはああた何がなにやらでありますればね。「ブブブ、ブエナスノーチェス…ソモス…トリオ・ロス・ファンダンゴス。ビニモス…ええと、次なんやったっけ…ああ、デル…コンプレタメンテ…オートラド…え?違う?オトラード?オトラードね?オトラード・デル…ムウウウウンド…デハポーン」(「こんばんは。トリオ・ロス・ファンダンゴスです。地球の真裏側の日本から来ました」)。途中みんな優しい笑顔で見守ってくれてて、言い終わったらこれまた大拍手。お恥ずかしい。でもありがたい。

2曲目、3曲目…次第に少しずつフロアにみんな出てきて踊り始める。それでも多くの人たちが我々の演奏を食い入るように見詰め続けている。ふと目を上手舞台下に向けると最前列のリリさんと目があった。それはまるで深い湖のような目。思いが涙と共にいっぱい湛えられて、溢れそうな、目。ぼくらがブエノスアイレスのミロンガで演奏して、沢山の人たちに拍手をしてもらっているそのことを、こんなにも喜んでくれて。ほんとうに、うれしかった。リリさん、ケンジさん、ありがとう。ぼくらブエノスアイレスに、来たんだね。一緒にここに居るんだね。

さて、前半用意していたのは9曲。殆ど喋らずにやれば30分弱でできる予定だった。ところが5曲目が終わった所でミロンガの主催者はいきなり「コルティーナ」(ミロンガで、同じ系統の曲が3、4曲流れた後、パートナーを替えたりするために短く流される全くタンゴとは別のジャンルのBGM)をかけた。有無を言わさず、ここで一旦ストップということだ。

演奏打ち切りか?実際に演奏がイマイチだと、主催者が演奏を打ち切らせることがあるという。また、フロアで踊っている人々が演奏を気に入らなければ明らかにぬるく冷めた拍手しかしなかったりする。ひどい場合にはブーイングが起きたり、帰ってしまったり、ということさえもあるのだという。

主催者はどうやらフロアに余り人が出ていないのが気になったらしい。演奏がどれほど受け入れられても、踊る人が少なければそれはミロンガとしては好ましくないというわけだ。

しかし間もなく、我々のブエノスアイレスツアーの制作をしてくれたミホさんを通じて「途中で切って悪かった。後半は予定通りやってくれ」という連絡がきた。どうやらフロアの雰囲気は非常にいい、後半はきっとみんな踊るだろう、という判断をしたのだろう。

さて、後半の1曲目2曲目はケンジ&リリアナのデモンストレーション付きの演奏を予定していた。しかし、曲をどうするかはフロアの雰囲気を見て決める、とケンジさんは話していた。「『ブエノスアイレスの夏』と『ミロンガ・トゥリステ』で行く」。お客さんが非常に集中して聴いていると見ての選曲。普通、ミロンガでのデモではなかなかできない選曲だ。ファンダンゴスの演奏が、ミロンガの空気を作り、そしてその流れの中でケンジ&リリアナはこの深く静かな表現が可能だ、と判断したわけだ。果たして、会場のみんなが息を呑んで二人の深い表現に引き込まれていく。ケンジさんのこの空気を読む感覚は、さすが、というしかない。

そんなケン爺をもってしても、株相場の空気を読むのはどうも難しいようですが…。おっとこれは別のハナシ。おほほ。

ミロンゲーロたちは2人のダンスを食い入るようにみている。そして勘所で拍手声援が湧き上がる。ステージ上で演奏しながら、今度はこっちが涙ぐむ番。デモを終え、大きな拍手喝采を受けるケンジ&リリアナ。どうだ!この2人は最高だろう?誇らしくて胸を張りたくなる。

そしてミロンガ再開。みんながどんどんフロアで踊り始めた。気づいたのは、ブエノスアイレスのミロンガでは踊っている人たちがものすごく音楽を集中して聴きながら踊っているということ。我々がリズムを揺らしたり、ブレイクを入れたり、遅くしたり速くしたりしても、即座にフロア全体が対応するのだ。日本ではこちらがどれだけリズムを揺らそうが、フロア全体がそれについてくるということはまずない。むしろ大半の人たちが一定のパターンで演奏とはむしろ無関係に踊り続けているのが普通だ。しかしブエノスアイレスではそうではなかった。こちらの演奏と一緒に、みんなが動く。これは面白かった。ミロンガでの演奏が単なるBGMではないのだ。ライブ感があって、みんなとグルーヴを共有しているんだということがよくわかって楽しいのだ。

かつて日本のあるミロンガで演奏したとき、「あなたたちの演奏はいささか揺れすぎる。ミロンガで演奏する時はリズムを一定に保たないと踊りにくい」と言われたことがある。でもぼくらはタンゴの持つダイナミズムを表現したいと願い、我々自身が心も身体も揺れるような音楽を志向してきた。その結果、どうしても「揺れ」が生まれるのだ。そして、ブエノスアイレスでは、これがフロアで踊っているみんなを大いに楽しませたらしい。うれしかった。

そしていよいよ最後の曲が終わった。同時にまたもや大拍手喝采、そして「オートラ!オートラ!」(もう一度!アンコール!)。我々の演奏をとっても気に入ってくれたらしい年配の男性が、我々にではなく主催者の方に向かって「こいつらにアンコールをさせてくれ、クンパルシータをさせてくれ!」とステージ下まで駆け寄ってきて懇願してたりして。ありがたいことです。

アンコールの演奏をやり散らかしてステージを降りると、大勢のタンゲーロ、ミロンゲーロたちが次々にやってきて手を握ってくれた。そして抱きしめてくれた。本来ならば1曲でも多く踊りたいと思っているミロンゲーロたちがわざわざ演奏者の所にやってきてくれてそのように気持ちを表してくれることは、そんなにしょっちゅうあることではないんだよ、とケンジ&リリアナが嬉しそうに教えてくれた。

かくしてトリオ・ロス・ファンダンゴスのブエノスアイレス・ミロンガデビューは果たされたのでした。さあて、次はいよいよ、ブエノスアイレスでも最も有名なミロンガのひとつ「サロン・カニング」だ!。”Siiiiii !”