カテゴリー: What friends say about the band

村山マギ正子さん(マーシー&マギ)

マーシー&マギの村山雅史さんに続き、相方マギさんこと村山正子さんから見たトリオ・ロス・ファンダンゴス!昨年5月5日の旦過市場大學堂での「タンガでタンゴにタンゴ」も振り返ってくださっています。お読みください!

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トリオ・ロス・ファンダンゴス は、『変人』の集まりである。

楽団の紹介なのに、この一文からスタートするのは少々過激かもしれない。

でもきっと多くの方が、うん!うん!と頷いてくれているのではないだろうか。

既に寄稿されている、リリアナ先生、ケンジ先生、ジミーさんとファンダンゴスの繋がりを見ると、マーシー&マギのファンダンゴス歴はまだ浅い。

出会いは、2014年9月。翌年に控えた奈良タンゴ祭でファンダンゴスさんの演奏で踊れる機会を頂き、ご挨拶を兼ねて横浜エアジンのライブに伺ったのだ。(マーシーさんが奈良県出身という事で、主催者の方に無理を承知で頼み込み、頼み込み、そして頼み込み、なんとか出演の機会を手に入れたのだった。)
マーシー&マギの結成が2014年の2月なので、何とも垢抜けない顔をした私達と、笑顔で応じてくれた御三方との写真がとても印象に残っている。当時の私はまだタンゴの事が良く分かっておらず、でも何だかライブはめちゃくちゃ楽しくて、この人達と一緒の舞台に立てるの?という喜びと興奮の一夜となった。まだ何者でもない駆け出しのダンサーに巡ってきた幸運。これが全ての始まりだった。
奈良タンゴ祭からのご縁で、ファンダンゴスさんの東京ツアーの際は、我々のミロンガでも演奏をしてもらう事が叶った。
毎回共演もさせて貰い、我々にとっては毎回挑戦の舞台となった。最初は嵐の風に吹き飛ばされない様に、必死でしがみ付いていくしか無かった。荒れ狂う波に飲み込まれぬよう。渦巻くエネルギーに流されぬよう。

 

やっと国内の移動が出来る様になった頃、ケンジ&リリアナ先生に『GW、一緒に福岡行かない?』と、お声掛け頂いたのが2022年3月。そこからあれよあれよと【タンゴの節句】(ミニ版)へと繋がりだしたのだった。
トリオ・ロス・ファンダンゴスとケンジ&リリアナが紡いだ20年の歴史ある【タンゴの節句】皆さんが大切に育ててこられた【タンゴの節句】
そこへ我々を迎え入れてくれた皆さんの懐の深さ。それは想像以上に深かった。そしてそれは【タンゴの節句】のファンやスタッフの皆様も。拍手の暖かさが全てを物語っていた。こんなにも愛されている楽団がいるだろうか。一緒の舞台に立てる喜びもひとしおだった。1日目は門司港でのミニライブショーを、2日目は旦過市場の大學堂での投げ銭ライブ。旦過市場はこのGWの2週間前に火災に見舞われ、大きな被害を受けた。当然開催も危ぶまれたが、市場の方から『是非に!』と言って頂き、大學堂での開催が実現となった。
県内外からずっと愛されてきた北九州の台所、旦過市場。何とか1日でも早く営業を再開し、活気を戻したいと願う市場の方々の想い、同じく1日も早い復興を願う人々がそこに集い、伝説のライブとなった。

現場に入るまではどんな所で踊るのか、どれ位のスペースがあるのか、全く掴めず不安との戦いだった。足場はコンクリートででこぼこだし、傾斜があったりでまともにピボットをする事も困難だった。
でもライブが始まったらそんな事はどうでも良くなった。普通にお買い物に来た地元の方、たまたま通りがかった観光の方が市場を行き交う。
普段の、普通の生活がそこには流れていて、その中にタンゴが『ちょいと失礼!』と、お邪魔させて貰ったのだ。
もうライブが始まる頃には、観る人、踊る人、通りすがりの人、人!人!人!
踊るスペースは踊りながら確保していくスタイル(笑) 人だけでなく、人々の想いも、私達の想いも、交差して絡まって、大きく膨らんで、今までに体感した事のない人間が持つエネルギーの大きさを感じた。人間の底力。その人々を結ぶタンゴ。その中にいれて、ただただ幸せだった。

長くなったが、話を戻す。
どこが『変人』なのか。
その説明はもう割愛しよう。

御三方を見ていて、人生を楽しむのが上手いなぁと思う。(もちろん影の努力があり、苦難を乗り越えてのそれだけど。)
一度きりの人生、楽しまな、損やろっ!っていう背中をしている。
どうやら私は3人に憧れているらしい。
うん。一度きりの人生、私も変人になろう。

Magi

村山マーシー雅史さん(マーシ&マギ) 後編

タンゴの節句2023に参加してくださるダンサー「マーシー&マギ」の村山マーシー雅史さんが語るトリオ・ロス・ファンダンゴス、後編です。どうぞお読みください。前編はコチラ

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「すんまへん。マーシーマギさんはミロンガをやっておますやろか?」

こんな嘘くさい関西弁だったかは定かではないが、私たちのミロンガで演奏させてほしいとの電話だった。

当時、すでに東京のミロンガシーンを席巻していたあのトリオ・ロス・ファンダンゴスが、タンゴダンサーとしてもミロンガのオーガナイザーとしてもまだまだ未熟だった私たちに白羽の矢を立ててくれたことが、たまらなく嬉しかった。

それ以来、2016年から毎年東京ツアーの際は必ず私たちのミロンガで演奏してくださるようになった。ファンダンゴスさんと一度途切れかけたご縁は、その度に強固なものとなっていった。

リリアナ先生はファンダンゴスさんの演奏を祈りだと書かれていた。全く同感で、毎年レパートリーを増やし日本中のミロンゲーロ、ミロンゲーラを熱狂の渦に巻き込むあの魂の演奏に救われた人はたくさんいると思う。

私もそのひとりだ。

ファンダンゴスの演奏は「いのち」そのものだと思うことがある。もっというと、いのち「を」懸けているのではなく、いのち「に」懸けている。
人間のいのちに。懸けてくれている。それほどタンゴを愛する人々を心から信じてくれている。

だから私たちは御三方の演奏で踊るほどに、救われた気持ちにさせてもらえるのだ。

今年もタンゴの節句が近づいてきた。

まだまだ世の中が混沌としていた昨年2022年3月、日本タンゴ界の重鎮ケンジ&リリアナのケンジ先生の「マーシーマギも一緒に九州行く?」の一言で同行させてもらえることになった。

ケンジ&リリアナ先生とトリオ・ロス・ファンダンゴスさんが20年大切に育ててこられたタンゴライブショー「タンゴの節句」への出演。

この経験はこれまでの人生の中で一二を争うほどの宝物になり私たちはタンゴの道を歩んでいく覚悟を新たにすることができた。

昨年の「ミニタンゴの節句2022」のことは、マギさんが詳しく書いてくれてるのでぜひ読んでほしい。

御三方と同じ時、同じ場所にいれることの幸運と感謝を噛み締めて、これからもファンダンゴスの音楽を浴び、踊り続けたい。

ありがとう。トリオ・ロス・ファンダンゴス。
これからもよろしくお願いいたしマーシー。

おわり

村山雅史マーシーさん(マーシー&マギ)前編

”What friends say about the band”「友人たちがこの楽団について言うことにゃ」、ダンサー村山雅史マーシーさんの登場!ついに2023年GWに本格再始動するタンゴの節句をケンジ&リリアナと共にもりあげる素敵なダンスカップル「マーシー&マギ」のマーシーさんから見たトリオ・ロス・ファンダンゴス前編!どうぞお読みください。

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「マーシー&マギさんは、トリオ・ロス・ファンダンゴスさんの演奏で踊ってください。」

2014年の梅雨に入ったころ、奈良タンゴ祭主催、北村さんからのメールには確かにそう書かれていた。

トリオ・ロス・ファンダンゴス。

お会いしたことない。
調べたらちょうどツアー中でこちらにきているというからご挨拶に伺おう。

そうして訪れた横浜エアジンというライブハウス。
窓際の奥、すみっこの方にスタンバイされていた御三方にご挨拶した。
その時の会話は忘れてしまったけど、ライブハウスの雰囲気も相まって御三方ともアングラな色彩をまとってらっしゃるなとなんとなく感じたのを覚えている。

その30分か1時間後。もう虜になってた。
電撃、稲妻、感電。ビビビビビ。
よくわからないけれどそんな言葉ばかりが浮かぶ演奏。とにかくシビれたのには間違いない。

これはあれだ。ロックだ。

それまで魂を内に込めて演奏するのがタンゴだと思っていた。
魂を外に振り乱して演奏するタンゴにワクワクし、あふれ出る感情はどんどん昂っていった。

このライブを観て初めてタンゴの「音楽」を好きになった。好きにしてもらえた。好きになれた。

その約半年後の2015年1月。
第1回奈良タンゴ祭のステージにトリオ・ロス・ファンダンゴスと共に立った。

ファンダンゴスの1曲目が始まる。私たちの出番は2曲目の”Cafe Domiguez”だ。
マギは下手袖、私は上手の袖にスタンバイする。
私たちマーシー&マギにとって初めてのタンゴコンサート。しかも私マーシーの故郷である奈良での舞台。客席には両親や親族がたくさんいる。
変な汗が止まらない。緊張度MAX。

その時だった。上手で演奏していた谷本さんがただならぬ空気を察知したのか袖にいる私に向かって緊張をときほぐそうと笑顔で尻を振ってくれたのだ。

キュウウウウウウウウウン!
惚れてまうやろおおおおおおお!
私の中のチャンカワイが唸りをあげる!

かくして、谷本仰という男は私の憧れになった。
この時の話をしても本人は全く覚えていないと言うが私の脳裏には鮮明に焼き付いている。
オールバック。赤いシャツ。揺れる尻。
目をつぶればこの3つが即座に出てくる。

ファンダンゴスさんとのご縁はこの奈良タンゴ祭で途切れるかと思われたが2016年の夏、憧れの男からの電話で突如復活する。

つづく

奈良正次郎〈Jimmy〉さん(2023/1/24)

”What friends say about the band”(「友人たちがこの楽団について言うことにゃ」)、ケンジ&リリアナに次いでの登場はJimmyこと奈良正次郎さん!われわれの大きな転機となった2011年のブエノスアイレスツアーで初めて出会って以来、ずっと我々を応援してくれている大好きなミロンゲーロ!どうぞお読みください!

奈良正次郎<Jimmy>:タンゴダンサー・インストラクター。関西を拠点にJimmy & Yukarin でJ tango 主催。ブログ:JIMMYの街角TANGO日記

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初めての出会いはケンジさんとリリアナさんとの会話の中でのことであった。ブエノスの中庭でワインとチーズで雑談をしていた。そうそう、今夜ジミーに紹介したい人がいるのよ、とケンジさんがトリオのことを語るのだが、俺は面倒くせえな、どうせやたらとプライドの高いイケすかないクソなんだろ、と思っていたのですがケンジさん、先輩の顔を立てて置くかくらいの気持ちで顔を合わせました。案外あっけらかんとした面々で、拍子抜けしました。そしてその数時間後にミロンガ、カテドラルでの彼らの生演奏を体験して、ぶっ飛びました。しょっぱなのガジョシエゴ、音の圧が凄い。トリオなのに、えっ、トリオだよね、こんなのあるの、すげぇじゃん。そんなのが最初の出会いでした。
何よりもいいのがピアソラとトロイロを神とした洗脳された人たちではなかったことです。トロイロは素晴らしい、繊細で複雑で実に芸術的なビッグフォーの一人なのですが、大概の生演奏をしてくれる人はミロンゲーロとの認識がズレているのですよ。これが残念で仕方なかった。
こんな連中がいるとは日本のタンゴも捨てたもんじゃない、ミロンガが盛り上がるってのを体感させてくれる、実に貴重な存在であります。最近ではミゲルカロ、ルシオデマレもレパートリーに入れ、益々オールラウンダーになってきて、フランシスコロムートもやるという、なんで神戸のライブでやらなかったんだこのやろ、と首を締めそうになりました。
彼らと出会った10数年前、彼らを関西の人に知らしめねばならない、と思いました。普段何の営業活動をしない俺が、彼らを知らせることは使命だと思いました。今ではすっかり有名な人気者なので、その使命は終わっています。
これからは彼らがどんなレパートリーで喜ばせてくれるのだろう、ビクトルやラウレンス他にも沢山の名曲にチャレンジしていってくれたらいいなあ。
俺自身もそうでありたい、そしてトリオもそうであって欲しい、ミロンガの灯、わくわくするようなタンゴを追求する姿勢、これなんだよな、カッコいいってことはカッコつけるのとは大違い。
キリがないので、ここらで終わります。最後に一言、トリオロスファンダンゴスが大好きです。

野沢ケンジさん2(2022/9/4)

私とリリアナさんは 30回近くブエノスアイレスを訪れています
そして毎晩 ミロンガへ行き 明け方まで います
ファンダンゴスも もちろん いっしょに付き合ってくれます
ある晩 人気ミロンガ エル ベソへ行った時
私は ファンダンゴスに
「ミロンガで かかっている曲を よく聞いてごらん
ミロンガで踊っている人たちを よく見ていてごらん」
と 言いました
ブエノスアイレスのミロンガで踊る人たちが創り出す波
それは ここでしか感じられません
狭い空間の中で ひしめき合いながら ぶつかることなく整然と
街の持つエネルギーと同じように カオスと整合の中で
音楽に揺られ ありったけのエネルギーを ぶつけあっています
この中に身を置いているだけで
知らぬうちに 踊る人のエネルギーが入ってきます

この翌日の ファンダンゴスのサロン カニングでの 演奏は 踊る人たち聞く人たちに
もっともっと と思わせるような 不純物を濾過した水が 身体のすみずみに
行き渡るようなタンゴを与えていました

また ラ ビルータ での セステートミロンゲーロの演奏を聞きに行った時
タンダ別の演奏とハビエルの歌は 踊る人の波を見ながら
目が合うとウインクしながら エネルギーを操っていました
それを最前列で 凝視し 大騒ぎしていたファンダンゴス

このミロンガでの体験を含む この年のブエノスアイレスツアーが
今の トリオ ロス ファンダンゴスの 基盤となっていったと思います

後年 谷本さんが 「ケンジさん なぜエルベソで ああ言ったの?」と聞きました
あの時のあの言葉を 覚えていてくれたのですね
タンゴの神様が 降りてきて 私の口を借りて
ファンダンゴスにより 深く広くタンゴを 感じて欲しかったのだと思います

タンゴは ステージ レコード 演奏 歌 ダンスとさまざまな楽しみ方ができます
しかし ミロンガで踊る人と レコード演奏を聞く人と 演奏家の嗜好は 一致しません
ファンダンゴスは 演奏家として コンサートでは 聴衆が喜ぶステージを
ミロンガでは 踊る人を 操り 煽りながらの演奏を
そして彼ら自身も ミロンガで踊り 歌も歌い ミロンガでのDJもやるという
彼らの食欲同様 一頭の牛を さまざまな部位を さまざまな調理法で食べ尽くすのと同様に
タンゴを 広く 深く 骨の髄までシャブリ尽くし 楽しんでいます
こうしたタンゴの調理方法を 2011年のブエノスアイレスツアーから
自分たちのものとしていきました

私は このツアーのあと
日本に帰った途端 ファンダンゴス疲れから 私は帯状疱疹を患い 入院いたしました
肉体 精神 内臓 に とても過酷な 旅でした

ファンダンゴスはこのツアーで得たものを基として
新たな曲を開拓し タンダ編成 演奏家編成にして
2013年11月の ブエノスアイレスツアーで ぶつけて
自分たちの新たな道に確信を得て CDファンダンゴス5の 製作へと続いていきます
私は このCDファンダンゴス5 を聞くたびに
ブエノスアイレスのファンダンゴスの快進撃を 想いだしています(終)

 

なお、このツアーの詳細を知りたい方は こちらよりどうぞ! http://liliken.club/?p=381