カテゴリー: What friends say about the band

Ken Bandit がこの楽団について言うことにゃ

高志&メグミがファンダンゴスについて言うことにゃ

7月のEl Recodoでの共演時のダンスもかっこよくて、物語があって、ユーモアと迫力が入り混じって素晴らしかったダンサー高志&めぐみが語るトリオ・ロス・ファンダンゴス。どうぞお読みください。

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2024 年 7 月、Trio Los Fandangos さんの関東ツアーが行われました!!
その中で私たち隅田川ダンサーズ(すみれ&玉井、ズーハン&京子、高志&めぐみ)と DJ IKEさんとのコラボレーションミロンガが開催され、大いに盛り上がりました。その際に谷本さんから Trio Los Fandangos の紹介文を書いてほしいとの光栄なご依頼を頂きました。僭越ながら私が思うことを書かせて頂きたいと思います。
まず1番に思うことは、踊り手を「見て」演奏しているということ。私たちが最初に Trio Los Fandangos さんと共演させて頂いたのは 2012 年でしたが、その時に踊っている私たちのことをしっかり見て演奏してくれているのを感じました。踊っていて、それを背中で感じ、勇気づけられたのを覚えています。 そして何より、それが気持ちよく、 とても楽しかった!
ミュージシャンとダンサーが別々では無く、お互いを尊重し合い、感じ合って、意識し合いながら踊る気持ち良さ。 1 回 1 回違う、その生きている生の演奏に踊りを乗せていくことの楽しさを Trio Los Fandangos さんには教わりました。
そしてもう一つ私が Trio Los Fandangos さんに関して尊敬するところ。踊り手やその時の空間に積極的に関わろうとするその演奏姿勢です。今回のツアーでのミロンガ中に谷本さんが何気なく言っていた言葉「私たちは踊っている皆さんの vibes を感じて、それをまた演奏で踊り手に返す、お応えするのです」と。この言葉の中に、Trio Los Fandangos さんの本質が表われていると思います。 そしてそのような循環は、 演奏や踊りという枠を超えてタンゴそのものの本質でもあると思います。シンプルだけどすごく奥の深い一言。それが踊り手を「見て」演奏する事だったり、楽しい MC だったり、ひいては Trio Los Fandangos さんの人気に繋がっているのだと本当にそう思います。
踊りと演奏が会話する。循環していく。そんなミラクルな空間を創る名手、それが Trio Los Fandangos!!
最初の競演から 12 年。お互い演奏、踊りに真摯に純粋に向き合って来た、そして色々な事を過ぎ越してきた、それを 12 年後の共演で言葉では無く確認し合えた様な気がして嬉しかった!!
大好きな Trio Los Fandangos さんに一筆書かせて頂くことができ幸せです。これからも唯一無二の Trio Los Fandangos をよろしくお願い致します!!!
尊敬と愛を込めて、高志&めぐみ

おおまきみほさん(ダンサー”El Chino” Aguerrodi & Miho Omaki)

ヨーロッパ・ルクセンブルクで活躍しているダンサーChino & Mihoのおおまきみほさんにチノさんとふたりでトリオ・ロス・ファンダンゴスについて語りあっていただきました。ありがとうございます!友人・チノ&ミホがこの楽団について言うことにゃ!

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「お懐かしい友人たちからいただいた大きな宿題」

先ずはファンダンゴス結成25周年、おめでとうございます。

さてさてこの度お懐かしい友人たちから頂いた大きな宿題、これは中々ムズいぞ。しかもそうそうたる先生方が先に色々と書いておられる、ヤバい。ブエノスアイレス・ツアーも、もう網羅されてるぢゃん。どうしよう。。そこで「ワタシ、ニホンゴワカリマセ~ン」と逃げようとするチノさんをひっ捕まえて改めて、ファンダンゴスについてお話してみました。

[Trio Los Fandangos ブエノスアイレス・ツアー編]

私たちがファンダンゴスにお会いしたのは、多分彼らのブエノスアイレス初ツアー。それまでもご縁があって日本からのミュージシャンにお会いしたり、アテンドさせて頂く事はありましたが、なんとなく違う。もちろん緊張されていたのでしょうが、それ以上になんか違う匂いがする。これは後々わかる結果になります。

自分語りになりますが、初めてブエノスアイレスに住み始めた時から常に、「私が一人でお伝えできるタンゴなんて、氷山の一角。だったらせめてブエノスアイレスに来る人々と『ホンモノ』を繋げられるようになりたいな」という気持ちはありました。
その中で色々な方と出会えたり、戦ったり出来たのは、貴重な経験であったと思います。タンゴを元々ご存じない方々には、喜んで頂ける事の方が多いですが、「アーティスト」と名の付く方々にとっては、そういった「ホンモノ」との出会いは、拒絶されることもあれば、時としてアーティストとしてのプライドを大きく傷つけることもあります。そういう事態を(自ら引き起こしたにも関わらず)俯瞰して見ている私は、相当性格の悪い人間です。

さてそんな中でのファンダンゴス、初ツアー。。。ミロンガの出演交渉しようにも「日本のバンドがBailable(ダンサブル)な演奏が出来るのか?」とか「えっ、バンドネオンいないの?」とか、そんなオーガナイザー達の声をチノさんがガブリ寄りでねじ伏せて回りました。
当時の「サロンカニング」こと「Parakultural」のオーナー、Omarさんはオフィスで、「見ろこのCDの山、みんなココで演奏したがってる。この(ファンダンゴスの)CDは聴かない。お前らの言葉を信じるよ。」のお言葉でOKをもらいました。

そんな初ツアー中、彼らはブエノスアイレス特有の時間のルーズさや私たちの不手際に一言のクレームも言わず、「こういうルールなのね」と受け入れながら、ガンガン演奏して各ミロンガでファンを増やしてくれました。
と、同時に「ホンモノ」に出会って頂きたく、色々なライブにも引きずり回しましたが、どれにも面白がって付いてきてくれました。これが、出会ったときに感じた「違う匂い」だったのだな、と納得したものです。

しかしコレはチノさんと私の予測を超えた事態も起こします。「xxで誰それと会って道端で演奏します」とか「xxっていうラジオから声かけられました」とか、時には「いやそれヤバいかも知れないから、気をつけてね」って事まで、彼らは手を出すようになります。もちろん大人のやる事ですから、心配するのもおこがましいのでしょうが、なんだか気分は、スーパーマーケットに子供連れて買い出しに来たパパとママ。それでも楽しくやっていけたのは、やはり三人のお人柄と思います、感謝。

実は私とチノさんの中では「ファンダンゴス10ヵ年計画」的な展望を持ちながら、その後何度かファンダンゴス・ツアーをお手伝いさせて頂きました。「このミロンガで上手くいったら、次はxxに声を掛けられるね」とか「いつヨーロッパに来てもらおうか?」なんぞと、ご本人不在のまま計画は進んでおりました。
一度ルクセンブルクとウィーンに来てもらってから、なんやかんやで計画は進んでおりませんが、コロナ後の今、またチャンスは有ると信じています。
今度は「ホンモノ」を届ける側として、いつかきっと。

[チノミホ、日本でファンダンゴスに遭う編] ブエノスアイレスでファンダンゴスにお会いするようになった時期、私達も年一回ペースで日本各地を回らせて頂いてました。
私の持論の一つは「ダンサーが音楽性を高める最も効果的な手段はライブ・ミュージックで踊ること」なのですが、これは「踊らせる」バンドあってのこと。当時のバンドで「踊らせる」と言えば、ファンダンゴスが先ず頭に浮かびました。それはなぜか?
あるとき福岡でファンダンゴス+ファミリーとの再会を喜び、ミロンガでデモでもないのに「たまたま」ある1曲をお願いして踊った時の、深く落ちて行ける感じ。こういうバンドが日本にも生まれ始めているんだ、と嬉しく思いました。

「じゃあ東京でもやっちゃおう」というコトでかなり無茶なお願いを各所にして、楽しい時間を過ごさせて頂いたのも感謝感謝。

これは…もう時効かな?というコトで暴露しますが。。
一連のイベントで、今ではマエストロとなられた先生方にもデモのご協力をお願いしました。そんな中あるカップルとファンダンゴスが初顔合わせのリハーサルの時の事。アコーデオンのなおこ嬢が先生方に「あの音、Boleoに合わせれば良いんですよね?」とのたまい、ダンサーズ、フリーズ。いやね、確かに踊りを見て合わせようとする演奏家さんなんて、そうそういらっしゃいません。
そしてその夜の彼らの踊りは一段と素晴らしく、「開眼とはこういうことか」という思わされました。これもまた、ファンダンゴス・マジック。 そんなマジックを日本だけでなく世界中で起こして欲しいもんです。ファンダンゴス、また会おうね。

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チノ&ミホとトリオ・ロス・ファンダンゴスの関わりについては、FJTA日本タンゴ大賞2023受賞スピーチの中でも触れました。➡こちら

復活!タンゴの節句!

ついに完全復活、「タンゴの節句」!
2019年以来中断していたタンゴの節句のホール公演が帰ってきます。実に5年ぶり。長かった!

トリオ・ロス・ファンダンゴスとケンジ&リリアナが2002年以来創ってきたこのタンゴのお祭り。2022年にマーシー&マギが加わり7人で、旦過市場大學堂と門司港黒田征太郎アトリエ2Fホールで公演。さらに昨年は福岡・糸島いとの森歯科室と天神MKホール、北九州・門司港三宜楼の計3公演。そして今回、福岡サイエンスホール、小倉芸術劇場小劇場、宮崎市民文化ホールで公演します。福岡と小倉には歌手KaZZmaも飛んできます!

どうぞ宜しくお願いいたします。チケット絶賛発売中。入場をスムーズにしていただくためにも、事前に入手していただけると助かります。宜しくお願いいたします!!!

完全復活のタンゴの節句を祝いにぜひおいでください。お待ちしています!

詳細はライブスケジュール欄をご覧ください。

 

 

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棚田典子さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

棚田晃吉さんに続き、棚田典子さんがトリオ・ロス・ファンダンゴスについて言うことにゃ。いつもミロンガLa Bardosaでほんとうに心温かくわれわれを迎えてくださる典子さん。そしてショーに臨む時には全身からまるで青い炎が立ち昇るような気迫が溢れる典子さん。ありがとうございます!

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この夏、谷本さんから宿題をもらった。
トリオロスフアンダンゴス(以下TLFとします)さんについてコメントを書くことだ。
果たして自分がそれに値するのかとても悩んでしまった。
パワーのある人を語り賛辞するにはもっとパワーが要るからだ。
病気がちでネガティブ、何かと体力気力に余裕の無い私には、TLFさんと彼らを取り巻く皆さんは限りなく眩しい存在だ。
そのパワーに満ちたミロンガは,時として私のキャパを超え,心の窓を少しだけ閉めて嵐をやり過ごす事さえある。
彼ら自身は本当に抑えの効きいた柔らかい方々で、そんな私を見守り乍ら,でも気がつけばいつも近くに寄り添ってくださっている。有り難くて涙が出る。
安定して人を楽しく元気にするのは大変なことだ。
どれだけのバックグランドと努力があったことか、、それも3人ともだから,脱帽しかない。
タンゴは眉間にシワを寄せ悲しい顔でなりきって踊るのよ
そんな前時代から35年近く踊り続けている私たちは随分自分を抑えて来たかもしれない。
ある時は怪しいラテンネームをつけられて、「わたし日本語わからない」と日系2世の振りしなさい、と強いられたっけ。
またある時は,楽団の前で踊っていて,(うるさ方が会場の最前列にいらっしゃるのだが)「ダンサーが邪魔で演奏家が見えない」とよくキツくお叱りを受けた。
若いなりに一緒懸命作ったショーで参戦するも袖看板には,"情熱のフラメンコショー”。結局名刺交換に皆さん夢中でBGMでさえなかった赤プリでの仕事
某レコード会社から”踊りのためのタンゴ曲集”のCDチェックを依頼されたときは,どの曲もミロンガ(踊り場)ではかからないものばかりで困ったっけ。
生演奏でのミロンガが始まった時代も,楽団の方の曲はミロンガには少し難しかった。
「皆さんオブリビオンとかでしっぽり踊りたいんでしょう。さあ,どうぞ」なんて言われると,悲しい気持ちになった。
初めの頃はアジア選手権のステージ部門では二曲踊り,私たちも、良く求められる深刻な曲とそれとは別に温かみのある明るめの曲の二曲を選んで踊った。
タンゴは歯を見せちゃダメなのよ、笑って踊ってはダメなの。だから前者の曲だけにしなさい
有難い偉い先人のアドバイスに反して,私たち明るい曲の方を選んだものだ。
悲しい曲を安易で不勉強なものが物知り顔で踊るより、悲しみを持ったものが努力して人々の心が温かくなる踊りができたなら、きっとタンゴはそちらを喜ぶはずだ。そう信じてきた。
2023年になっても人々は戦争を繰り返し、平和な地域でさえ、この世は生きることも老いることも、死ぬことさえなかなかに難しい。
せめて”タンゴ”を持った我々は,この体の温かさと人々と繋がり思いやる能力で支え合おう。自分の淋しさを乗り越え,早く誰かの淋しさに気づけるように。
タンゴは生き難き今生の糧とならん
明るくポジティブに我々を支え寄り添ってくれるTLFさんに、何故かあのタイタニック号で,沈みながら讃美歌を奏でる音楽隊のシーンが私の中で蘇るのだ。
人生は雨ばかりではないけれど、傘のない人もいる
TLFにみんなが惹かれるのは、彼らも皆さんも同じ思いを持ち同じ痛みを知っているから。
あゝ,もう3人に会いたくなってしまった。
TLFさーん、カムバーック✨

タナディーズ2号
棚田典子