カテゴリー: What friends say about the band

おおまきみほさん(ダンサー”El Chino” Aguerrodi & Miho Omaki)

ヨーロッパ・ルクセンブルクで活躍しているダンサーChino & Mihoのおおまきみほさんにチノさんとふたりでトリオ・ロス・ファンダンゴスについて語りあっていただきました。ありがとうございます!友人・チノ&ミホがこの楽団について言うことにゃ!

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「お懐かしい友人たちからいただいた大きな宿題」

先ずはファンダンゴス結成25周年、おめでとうございます。

さてさてこの度お懐かしい友人たちから頂いた大きな宿題、これは中々ムズいぞ。しかもそうそうたる先生方が先に色々と書いておられる、ヤバい。ブエノスアイレス・ツアーも、もう網羅されてるぢゃん。どうしよう。。そこで「ワタシ、ニホンゴワカリマセ~ン」と逃げようとするチノさんをひっ捕まえて改めて、ファンダンゴスについてお話してみました。

[Trio Los Fandangos ブエノスアイレス・ツアー編]

私たちがファンダンゴスにお会いしたのは、多分彼らのブエノスアイレス初ツアー。それまでもご縁があって日本からのミュージシャンにお会いしたり、アテンドさせて頂く事はありましたが、なんとなく違う。もちろん緊張されていたのでしょうが、それ以上になんか違う匂いがする。これは後々わかる結果になります。

自分語りになりますが、初めてブエノスアイレスに住み始めた時から常に、「私が一人でお伝えできるタンゴなんて、氷山の一角。だったらせめてブエノスアイレスに来る人々と『ホンモノ』を繋げられるようになりたいな」という気持ちはありました。
その中で色々な方と出会えたり、戦ったり出来たのは、貴重な経験であったと思います。タンゴを元々ご存じない方々には、喜んで頂ける事の方が多いですが、「アーティスト」と名の付く方々にとっては、そういった「ホンモノ」との出会いは、拒絶されることもあれば、時としてアーティストとしてのプライドを大きく傷つけることもあります。そういう事態を(自ら引き起こしたにも関わらず)俯瞰して見ている私は、相当性格の悪い人間です。

さてそんな中でのファンダンゴス、初ツアー。。。ミロンガの出演交渉しようにも「日本のバンドがBailable(ダンサブル)な演奏が出来るのか?」とか「えっ、バンドネオンいないの?」とか、そんなオーガナイザー達の声をチノさんがガブリ寄りでねじ伏せて回りました。
当時の「サロンカニング」こと「Parakultural」のオーナー、Omarさんはオフィスで、「見ろこのCDの山、みんなココで演奏したがってる。この(ファンダンゴスの)CDは聴かない。お前らの言葉を信じるよ。」のお言葉でOKをもらいました。

そんな初ツアー中、彼らはブエノスアイレス特有の時間のルーズさや私たちの不手際に一言のクレームも言わず、「こういうルールなのね」と受け入れながら、ガンガン演奏して各ミロンガでファンを増やしてくれました。
と、同時に「ホンモノ」に出会って頂きたく、色々なライブにも引きずり回しましたが、どれにも面白がって付いてきてくれました。これが、出会ったときに感じた「違う匂い」だったのだな、と納得したものです。

しかしコレはチノさんと私の予測を超えた事態も起こします。「xxで誰それと会って道端で演奏します」とか「xxっていうラジオから声かけられました」とか、時には「いやそれヤバいかも知れないから、気をつけてね」って事まで、彼らは手を出すようになります。もちろん大人のやる事ですから、心配するのもおこがましいのでしょうが、なんだか気分は、スーパーマーケットに子供連れて買い出しに来たパパとママ。それでも楽しくやっていけたのは、やはり三人のお人柄と思います、感謝。

実は私とチノさんの中では「ファンダンゴス10ヵ年計画」的な展望を持ちながら、その後何度かファンダンゴス・ツアーをお手伝いさせて頂きました。「このミロンガで上手くいったら、次はxxに声を掛けられるね」とか「いつヨーロッパに来てもらおうか?」なんぞと、ご本人不在のまま計画は進んでおりました。
一度ルクセンブルクとウィーンに来てもらってから、なんやかんやで計画は進んでおりませんが、コロナ後の今、またチャンスは有ると信じています。
今度は「ホンモノ」を届ける側として、いつかきっと。

[チノミホ、日本でファンダンゴスに遭う編] ブエノスアイレスでファンダンゴスにお会いするようになった時期、私達も年一回ペースで日本各地を回らせて頂いてました。
私の持論の一つは「ダンサーが音楽性を高める最も効果的な手段はライブ・ミュージックで踊ること」なのですが、これは「踊らせる」バンドあってのこと。当時のバンドで「踊らせる」と言えば、ファンダンゴスが先ず頭に浮かびました。それはなぜか?
あるとき福岡でファンダンゴス+ファミリーとの再会を喜び、ミロンガでデモでもないのに「たまたま」ある1曲をお願いして踊った時の、深く落ちて行ける感じ。こういうバンドが日本にも生まれ始めているんだ、と嬉しく思いました。

「じゃあ東京でもやっちゃおう」というコトでかなり無茶なお願いを各所にして、楽しい時間を過ごさせて頂いたのも感謝感謝。

これは…もう時効かな?というコトで暴露しますが。。
一連のイベントで、今ではマエストロとなられた先生方にもデモのご協力をお願いしました。そんな中あるカップルとファンダンゴスが初顔合わせのリハーサルの時の事。アコーデオンのなおこ嬢が先生方に「あの音、Boleoに合わせれば良いんですよね?」とのたまい、ダンサーズ、フリーズ。いやね、確かに踊りを見て合わせようとする演奏家さんなんて、そうそういらっしゃいません。
そしてその夜の彼らの踊りは一段と素晴らしく、「開眼とはこういうことか」という思わされました。これもまた、ファンダンゴス・マジック。 そんなマジックを日本だけでなく世界中で起こして欲しいもんです。ファンダンゴス、また会おうね。

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チノ&ミホとトリオ・ロス・ファンダンゴスの関わりについては、FJTA日本タンゴ大賞2023受賞スピーチの中でも触れました。➡こちら

復活!タンゴの節句!

ついに完全復活、「タンゴの節句」!
2019年以来中断していたタンゴの節句のホール公演が帰ってきます。実に5年ぶり。長かった!

トリオ・ロス・ファンダンゴスとケンジ&リリアナが2002年以来創ってきたこのタンゴのお祭り。2022年にマーシー&マギが加わり7人で、旦過市場大學堂と門司港黒田征太郎アトリエ2Fホールで公演。さらに昨年は福岡・糸島いとの森歯科室と天神MKホール、北九州・門司港三宜楼の計3公演。そして今回、福岡サイエンスホール、小倉芸術劇場小劇場、宮崎市民文化ホールで公演します。福岡と小倉には歌手KaZZmaも飛んできます!

どうぞ宜しくお願いいたします。チケット絶賛発売中。入場をスムーズにしていただくためにも、事前に入手していただけると助かります。宜しくお願いいたします!!!

完全復活のタンゴの節句を祝いにぜひおいでください。お待ちしています!

詳細はライブスケジュール欄をご覧ください。

 

 

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棚田典子さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

棚田晃吉さんに続き、棚田典子さんがトリオ・ロス・ファンダンゴスについて言うことにゃ。いつもミロンガLa Bardosaでほんとうに心温かくわれわれを迎えてくださる典子さん。そしてショーに臨む時には全身からまるで青い炎が立ち昇るような気迫が溢れる典子さん。ありがとうございます!

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この夏、谷本さんから宿題をもらった。
トリオロスフアンダンゴス(以下TLFとします)さんについてコメントを書くことだ。
果たして自分がそれに値するのかとても悩んでしまった。
パワーのある人を語り賛辞するにはもっとパワーが要るからだ。
病気がちでネガティブ、何かと体力気力に余裕の無い私には、TLFさんと彼らを取り巻く皆さんは限りなく眩しい存在だ。
そのパワーに満ちたミロンガは,時として私のキャパを超え,心の窓を少しだけ閉めて嵐をやり過ごす事さえある。
彼ら自身は本当に抑えの効きいた柔らかい方々で、そんな私を見守り乍ら,でも気がつけばいつも近くに寄り添ってくださっている。有り難くて涙が出る。
安定して人を楽しく元気にするのは大変なことだ。
どれだけのバックグランドと努力があったことか、、それも3人ともだから,脱帽しかない。
タンゴは眉間にシワを寄せ悲しい顔でなりきって踊るのよ
そんな前時代から35年近く踊り続けている私たちは随分自分を抑えて来たかもしれない。
ある時は怪しいラテンネームをつけられて、「わたし日本語わからない」と日系2世の振りしなさい、と強いられたっけ。
またある時は,楽団の前で踊っていて,(うるさ方が会場の最前列にいらっしゃるのだが)「ダンサーが邪魔で演奏家が見えない」とよくキツくお叱りを受けた。
若いなりに一緒懸命作ったショーで参戦するも袖看板には,"情熱のフラメンコショー”。結局名刺交換に皆さん夢中でBGMでさえなかった赤プリでの仕事
某レコード会社から”踊りのためのタンゴ曲集”のCDチェックを依頼されたときは,どの曲もミロンガ(踊り場)ではかからないものばかりで困ったっけ。
生演奏でのミロンガが始まった時代も,楽団の方の曲はミロンガには少し難しかった。
「皆さんオブリビオンとかでしっぽり踊りたいんでしょう。さあ,どうぞ」なんて言われると,悲しい気持ちになった。
初めの頃はアジア選手権のステージ部門では二曲踊り,私たちも、良く求められる深刻な曲とそれとは別に温かみのある明るめの曲の二曲を選んで踊った。
タンゴは歯を見せちゃダメなのよ、笑って踊ってはダメなの。だから前者の曲だけにしなさい
有難い偉い先人のアドバイスに反して,私たち明るい曲の方を選んだものだ。
悲しい曲を安易で不勉強なものが物知り顔で踊るより、悲しみを持ったものが努力して人々の心が温かくなる踊りができたなら、きっとタンゴはそちらを喜ぶはずだ。そう信じてきた。
2023年になっても人々は戦争を繰り返し、平和な地域でさえ、この世は生きることも老いることも、死ぬことさえなかなかに難しい。
せめて”タンゴ”を持った我々は,この体の温かさと人々と繋がり思いやる能力で支え合おう。自分の淋しさを乗り越え,早く誰かの淋しさに気づけるように。
タンゴは生き難き今生の糧とならん
明るくポジティブに我々を支え寄り添ってくれるTLFさんに、何故かあのタイタニック号で,沈みながら讃美歌を奏でる音楽隊のシーンが私の中で蘇るのだ。
人生は雨ばかりではないけれど、傘のない人もいる
TLFにみんなが惹かれるのは、彼らも皆さんも同じ思いを持ち同じ痛みを知っているから。
あゝ,もう3人に会いたくなってしまった。
TLFさーん、カムバーック✨

タナディーズ2号
棚田典子

棚田晃吉さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

シリーズ「友人たちがこのバンドについて言うことにゃ」、棚田晃吉さんの登場です。恵比寿のラ・バルドッサのミロンガで温かく迎えられる度、トリオ・ロス・ファンダンゴスは心底「帰ってきた」と思うのです。

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「TLFのある時代に感謝」

まだまだ全国的なイベントが少ない頃、サクラタンゴが始まるより前、九州に欠かさず教えに行かせていただいていた。ある時、湯布院でタンゴフェスティバルをさせていただくことになった。(2012~2013年頃)。お金のないイベントであったにも関わらず、九州繋がりでTLFさんが盛り上げに駆け付けて下さった。

「頑張ってるところには行かせていただきますがな」

まだまだ夢のある良い時代だったとはいえ、TLFの皆さんのお気持ちは涙が出るほど嬉しかった。以来、何かにつけTLFの皆さんには、親戚よりも親しくこの時代を共に生かさせていただいている。

「いや~楽しかったなあ。タナディーズとこうして上海で日本のタンゴを発信できて」

ある年、上海タンゴフェスティバルに彼らと招かれた。夜中まで盛り上がったミロンガのあと、夜明け近い上海の街を腹を空かせた我々は彷徨っていた。
「何か食べないと寝られんですわ~」我々はどんどん裏通りへ入って行った。かろうじて朝粥の支度など始まろうとしてはいたものの、さすがにほとんどの店はシャッターが降りており街は眠っていた。その中に一軒だけまだやっていた食堂、立派に怪しい。お世辞にも清潔とはいえない

「どうします~?」

我々,特に典子に気を遣って谷本さんが聞いてくれた。多少怪伬な典子を待たずバッテリー切れ寸前の私は「決まってますやん,入りましょう!!」

東京ではまず口にしない怪しいピンク色の串焼きを数本にそれぞれがかぶりつき,青島ビールで喉を潤した。あまりの空腹に,店仕舞いを始めた店主に無理を言ってカレー風味のチャーハンを追加し,みんなで分け合ってかきこんだ。

「幸せだあ~」

誰からともなく口から出た。本当に幸せだった。空腹が満たされただけではない。

タンゴがあること
タンゴでみんなをHappyにできること
我々自身でいられること
素敵な仲間がいること

この30年ほど、演奏も踊りも日本のタンゴ人が頑張っていたこと,この厳しい時代の中で、皆で笑顔で集えていたこと、TLFの皆さんがもたらしてくれたこのワクワクした明るい力強さを,必ずや次の世代に残して(自慢して)ゆかねば!と棚田は思うのです。

TLFの皆さん、そして彼らに出会えたラッキーな皆さん、
まだまだこの時代,共に楽しんでまいりましょうね。

タナディーズ1号
棚田晃吉

村山マギ正子さん(マーシー&マギ)

マーシー&マギの村山雅史さんに続き、相方マギさんこと村山正子さんから見たトリオ・ロス・ファンダンゴス!昨年5月5日の旦過市場大學堂での「タンガでタンゴにタンゴ」も振り返ってくださっています。お読みください!

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トリオ・ロス・ファンダンゴス は、『変人』の集まりである。

楽団の紹介なのに、この一文からスタートするのは少々過激かもしれない。

でもきっと多くの方が、うん!うん!と頷いてくれているのではないだろうか。

既に寄稿されている、リリアナ先生、ケンジ先生、ジミーさんとファンダンゴスの繋がりを見ると、マーシー&マギのファンダンゴス歴はまだ浅い。

出会いは、2014年9月。翌年に控えた奈良タンゴ祭でファンダンゴスさんの演奏で踊れる機会を頂き、ご挨拶を兼ねて横浜エアジンのライブに伺ったのだ。(マーシーさんが奈良県出身という事で、主催者の方に無理を承知で頼み込み、頼み込み、そして頼み込み、なんとか出演の機会を手に入れたのだった。)
マーシー&マギの結成が2014年の2月なので、何とも垢抜けない顔をした私達と、笑顔で応じてくれた御三方との写真がとても印象に残っている。当時の私はまだタンゴの事が良く分かっておらず、でも何だかライブはめちゃくちゃ楽しくて、この人達と一緒の舞台に立てるの?という喜びと興奮の一夜となった。まだ何者でもない駆け出しのダンサーに巡ってきた幸運。これが全ての始まりだった。
奈良タンゴ祭からのご縁で、ファンダンゴスさんの東京ツアーの際は、我々のミロンガでも演奏をしてもらう事が叶った。
毎回共演もさせて貰い、我々にとっては毎回挑戦の舞台となった。最初は嵐の風に吹き飛ばされない様に、必死でしがみ付いていくしか無かった。荒れ狂う波に飲み込まれぬよう。渦巻くエネルギーに流されぬよう。

 

やっと国内の移動が出来る様になった頃、ケンジ&リリアナ先生に『GW、一緒に福岡行かない?』と、お声掛け頂いたのが2022年3月。そこからあれよあれよと【タンゴの節句】(ミニ版)へと繋がりだしたのだった。
トリオ・ロス・ファンダンゴスとケンジ&リリアナが紡いだ20年の歴史ある【タンゴの節句】皆さんが大切に育ててこられた【タンゴの節句】
そこへ我々を迎え入れてくれた皆さんの懐の深さ。それは想像以上に深かった。そしてそれは【タンゴの節句】のファンやスタッフの皆様も。拍手の暖かさが全てを物語っていた。こんなにも愛されている楽団がいるだろうか。一緒の舞台に立てる喜びもひとしおだった。1日目は門司港でのミニライブショーを、2日目は旦過市場の大學堂での投げ銭ライブ。旦過市場はこのGWの2週間前に火災に見舞われ、大きな被害を受けた。当然開催も危ぶまれたが、市場の方から『是非に!』と言って頂き、大學堂での開催が実現となった。
県内外からずっと愛されてきた北九州の台所、旦過市場。何とか1日でも早く営業を再開し、活気を戻したいと願う市場の方々の想い、同じく1日も早い復興を願う人々がそこに集い、伝説のライブとなった。

現場に入るまではどんな所で踊るのか、どれ位のスペースがあるのか、全く掴めず不安との戦いだった。足場はコンクリートででこぼこだし、傾斜があったりでまともにピボットをする事も困難だった。
でもライブが始まったらそんな事はどうでも良くなった。普通にお買い物に来た地元の方、たまたま通りがかった観光の方が市場を行き交う。
普段の、普通の生活がそこには流れていて、その中にタンゴが『ちょいと失礼!』と、お邪魔させて貰ったのだ。
もうライブが始まる頃には、観る人、踊る人、通りすがりの人、人!人!人!
踊るスペースは踊りながら確保していくスタイル(笑) 人だけでなく、人々の想いも、私達の想いも、交差して絡まって、大きく膨らんで、今までに体感した事のない人間が持つエネルギーの大きさを感じた。人間の底力。その人々を結ぶタンゴ。その中にいれて、ただただ幸せだった。

長くなったが、話を戻す。
どこが『変人』なのか。
その説明はもう割愛しよう。

御三方を見ていて、人生を楽しむのが上手いなぁと思う。(もちろん影の努力があり、苦難を乗り越えてのそれだけど。)
一度きりの人生、楽しまな、損やろっ!っていう背中をしている。
どうやら私は3人に憧れているらしい。
うん。一度きりの人生、私も変人になろう。

Magi