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棚田典子さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

棚田晃吉さんに続き、棚田典子さんがトリオ・ロス・ファンダンゴスについて言うことにゃ。いつもミロンガLa Bardosaでほんとうに心温かくわれわれを迎えてくださる典子さん。そしてショーに臨む時には全身からまるで青い炎が立ち昇るような気迫が溢れる典子さん。ありがとうございます!

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この夏、谷本さんから宿題をもらった。
トリオロスフアンダンゴス(以下TLFとします)さんについてコメントを書くことだ。
果たして自分がそれに値するのかとても悩んでしまった。
パワーのある人を語り賛辞するにはもっとパワーが要るからだ。
病気がちでネガティブ、何かと体力気力に余裕の無い私には、TLFさんと彼らを取り巻く皆さんは限りなく眩しい存在だ。
そのパワーに満ちたミロンガは,時として私のキャパを超え,心の窓を少しだけ閉めて嵐をやり過ごす事さえある。
彼ら自身は本当に抑えの効きいた柔らかい方々で、そんな私を見守り乍ら,でも気がつけばいつも近くに寄り添ってくださっている。有り難くて涙が出る。
安定して人を楽しく元気にするのは大変なことだ。
どれだけのバックグランドと努力があったことか、、それも3人ともだから,脱帽しかない。
タンゴは眉間にシワを寄せ悲しい顔でなりきって踊るのよ
そんな前時代から35年近く踊り続けている私たちは随分自分を抑えて来たかもしれない。
ある時は怪しいラテンネームをつけられて、「わたし日本語わからない」と日系2世の振りしなさい、と強いられたっけ。
またある時は,楽団の前で踊っていて,(うるさ方が会場の最前列にいらっしゃるのだが)「ダンサーが邪魔で演奏家が見えない」とよくキツくお叱りを受けた。
若いなりに一緒懸命作ったショーで参戦するも袖看板には,"情熱のフラメンコショー”。結局名刺交換に皆さん夢中でBGMでさえなかった赤プリでの仕事
某レコード会社から”踊りのためのタンゴ曲集”のCDチェックを依頼されたときは,どの曲もミロンガ(踊り場)ではかからないものばかりで困ったっけ。
生演奏でのミロンガが始まった時代も,楽団の方の曲はミロンガには少し難しかった。
「皆さんオブリビオンとかでしっぽり踊りたいんでしょう。さあ,どうぞ」なんて言われると,悲しい気持ちになった。
初めの頃はアジア選手権のステージ部門では二曲踊り,私たちも、良く求められる深刻な曲とそれとは別に温かみのある明るめの曲の二曲を選んで踊った。
タンゴは歯を見せちゃダメなのよ、笑って踊ってはダメなの。だから前者の曲だけにしなさい
有難い偉い先人のアドバイスに反して,私たち明るい曲の方を選んだものだ。
悲しい曲を安易で不勉強なものが物知り顔で踊るより、悲しみを持ったものが努力して人々の心が温かくなる踊りができたなら、きっとタンゴはそちらを喜ぶはずだ。そう信じてきた。
2023年になっても人々は戦争を繰り返し、平和な地域でさえ、この世は生きることも老いることも、死ぬことさえなかなかに難しい。
せめて”タンゴ”を持った我々は,この体の温かさと人々と繋がり思いやる能力で支え合おう。自分の淋しさを乗り越え,早く誰かの淋しさに気づけるように。
タンゴは生き難き今生の糧とならん
明るくポジティブに我々を支え寄り添ってくれるTLFさんに、何故かあのタイタニック号で,沈みながら讃美歌を奏でる音楽隊のシーンが私の中で蘇るのだ。
人生は雨ばかりではないけれど、傘のない人もいる
TLFにみんなが惹かれるのは、彼らも皆さんも同じ思いを持ち同じ痛みを知っているから。
あゝ,もう3人に会いたくなってしまった。
TLFさーん、カムバーック✨

タナディーズ2号
棚田典子

棚田晃吉さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

シリーズ「友人たちがこのバンドについて言うことにゃ」、棚田晃吉さんの登場です。恵比寿のラ・バルドッサのミロンガで温かく迎えられる度、トリオ・ロス・ファンダンゴスは心底「帰ってきた」と思うのです。

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「TLFのある時代に感謝」

まだまだ全国的なイベントが少ない頃、サクラタンゴが始まるより前、九州に欠かさず教えに行かせていただいていた。ある時、湯布院でタンゴフェスティバルをさせていただくことになった。(2012~2013年頃)。お金のないイベントであったにも関わらず、九州繋がりでTLFさんが盛り上げに駆け付けて下さった。

「頑張ってるところには行かせていただきますがな」

まだまだ夢のある良い時代だったとはいえ、TLFの皆さんのお気持ちは涙が出るほど嬉しかった。以来、何かにつけTLFの皆さんには、親戚よりも親しくこの時代を共に生かさせていただいている。

「いや~楽しかったなあ。タナディーズとこうして上海で日本のタンゴを発信できて」

ある年、上海タンゴフェスティバルに彼らと招かれた。夜中まで盛り上がったミロンガのあと、夜明け近い上海の街を腹を空かせた我々は彷徨っていた。
「何か食べないと寝られんですわ~」我々はどんどん裏通りへ入って行った。かろうじて朝粥の支度など始まろうとしてはいたものの、さすがにほとんどの店はシャッターが降りており街は眠っていた。その中に一軒だけまだやっていた食堂、立派に怪しい。お世辞にも清潔とはいえない

「どうします~?」

我々,特に典子に気を遣って谷本さんが聞いてくれた。多少怪伬な典子を待たずバッテリー切れ寸前の私は「決まってますやん,入りましょう!!」

東京ではまず口にしない怪しいピンク色の串焼きを数本にそれぞれがかぶりつき,青島ビールで喉を潤した。あまりの空腹に,店仕舞いを始めた店主に無理を言ってカレー風味のチャーハンを追加し,みんなで分け合ってかきこんだ。

「幸せだあ~」

誰からともなく口から出た。本当に幸せだった。空腹が満たされただけではない。

タンゴがあること
タンゴでみんなをHappyにできること
我々自身でいられること
素敵な仲間がいること

この30年ほど、演奏も踊りも日本のタンゴ人が頑張っていたこと,この厳しい時代の中で、皆で笑顔で集えていたこと、TLFの皆さんがもたらしてくれたこのワクワクした明るい力強さを,必ずや次の世代に残して(自慢して)ゆかねば!と棚田は思うのです。

TLFの皆さん、そして彼らに出会えたラッキーな皆さん、
まだまだこの時代,共に楽しんでまいりましょうね。

タナディーズ1号
棚田晃吉