棚田晃吉さん(ダンサー、棚田晃吉・典子タナディーズ)

シリーズ「友人たちがこのバンドについて言うことにゃ」、棚田晃吉さんの登場です。恵比寿のラ・バルドッサのミロンガで温かく迎えられる度、トリオ・ロス・ファンダンゴスは心底「帰ってきた」と思うのです。

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「TLFのある時代に感謝」

まだまだ全国的なイベントが少ない頃、サクラタンゴが始まるより前、九州に欠かさず教えに行かせていただいていた。ある時、湯布院でタンゴフェスティバルをさせていただくことになった。(2012~2013年頃)。お金のないイベントであったにも関わらず、九州繋がりでTLFさんが盛り上げに駆け付けて下さった。

「頑張ってるところには行かせていただきますがな」

まだまだ夢のある良い時代だったとはいえ、TLFの皆さんのお気持ちは涙が出るほど嬉しかった。以来、何かにつけTLFの皆さんには、親戚よりも親しくこの時代を共に生かさせていただいている。

「いや~楽しかったなあ。タナディーズとこうして上海で日本のタンゴを発信できて」

ある年、上海タンゴフェスティバルに彼らと招かれた。夜中まで盛り上がったミロンガのあと、夜明け近い上海の街を腹を空かせた我々は彷徨っていた。
「何か食べないと寝られんですわ~」我々はどんどん裏通りへ入って行った。かろうじて朝粥の支度など始まろうとしてはいたものの、さすがにほとんどの店はシャッターが降りており街は眠っていた。その中に一軒だけまだやっていた食堂、立派に怪しい。お世辞にも清潔とはいえない

「どうします~?」

我々,特に典子に気を遣って谷本さんが聞いてくれた。多少怪伬な典子を待たずバッテリー切れ寸前の私は「決まってますやん,入りましょう!!」

東京ではまず口にしない怪しいピンク色の串焼きを数本にそれぞれがかぶりつき,青島ビールで喉を潤した。あまりの空腹に,店仕舞いを始めた店主に無理を言ってカレー風味のチャーハンを追加し,みんなで分け合ってかきこんだ。

「幸せだあ~」

誰からともなく口から出た。本当に幸せだった。空腹が満たされただけではない。

タンゴがあること
タンゴでみんなをHappyにできること
我々自身でいられること
素敵な仲間がいること

この30年ほど、演奏も踊りも日本のタンゴ人が頑張っていたこと,この厳しい時代の中で、皆で笑顔で集えていたこと、TLFの皆さんがもたらしてくれたこのワクワクした明るい力強さを,必ずや次の世代に残して(自慢して)ゆかねば!と棚田は思うのです。

TLFの皆さん、そして彼らに出会えたラッキーな皆さん、
まだまだこの時代,共に楽しんでまいりましょうね。

タナディーズ1号
棚田晃吉

村山マギ正子さん(マーシー&マギ)

マーシー&マギの村山雅史さんに続き、相方マギさんこと村山正子さんから見たトリオ・ロス・ファンダンゴス!昨年5月5日の旦過市場大學堂での「タンガでタンゴにタンゴ」も振り返ってくださっています。お読みください!

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トリオ・ロス・ファンダンゴス は、『変人』の集まりである。

楽団の紹介なのに、この一文からスタートするのは少々過激かもしれない。

でもきっと多くの方が、うん!うん!と頷いてくれているのではないだろうか。

既に寄稿されている、リリアナ先生、ケンジ先生、ジミーさんとファンダンゴスの繋がりを見ると、マーシー&マギのファンダンゴス歴はまだ浅い。

出会いは、2014年9月。翌年に控えた奈良タンゴ祭でファンダンゴスさんの演奏で踊れる機会を頂き、ご挨拶を兼ねて横浜エアジンのライブに伺ったのだ。(マーシーさんが奈良県出身という事で、主催者の方に無理を承知で頼み込み、頼み込み、そして頼み込み、なんとか出演の機会を手に入れたのだった。)
マーシー&マギの結成が2014年の2月なので、何とも垢抜けない顔をした私達と、笑顔で応じてくれた御三方との写真がとても印象に残っている。当時の私はまだタンゴの事が良く分かっておらず、でも何だかライブはめちゃくちゃ楽しくて、この人達と一緒の舞台に立てるの?という喜びと興奮の一夜となった。まだ何者でもない駆け出しのダンサーに巡ってきた幸運。これが全ての始まりだった。
奈良タンゴ祭からのご縁で、ファンダンゴスさんの東京ツアーの際は、我々のミロンガでも演奏をしてもらう事が叶った。
毎回共演もさせて貰い、我々にとっては毎回挑戦の舞台となった。最初は嵐の風に吹き飛ばされない様に、必死でしがみ付いていくしか無かった。荒れ狂う波に飲み込まれぬよう。渦巻くエネルギーに流されぬよう。

 

やっと国内の移動が出来る様になった頃、ケンジ&リリアナ先生に『GW、一緒に福岡行かない?』と、お声掛け頂いたのが2022年3月。そこからあれよあれよと【タンゴの節句】(ミニ版)へと繋がりだしたのだった。
トリオ・ロス・ファンダンゴスとケンジ&リリアナが紡いだ20年の歴史ある【タンゴの節句】皆さんが大切に育ててこられた【タンゴの節句】
そこへ我々を迎え入れてくれた皆さんの懐の深さ。それは想像以上に深かった。そしてそれは【タンゴの節句】のファンやスタッフの皆様も。拍手の暖かさが全てを物語っていた。こんなにも愛されている楽団がいるだろうか。一緒の舞台に立てる喜びもひとしおだった。1日目は門司港でのミニライブショーを、2日目は旦過市場の大學堂での投げ銭ライブ。旦過市場はこのGWの2週間前に火災に見舞われ、大きな被害を受けた。当然開催も危ぶまれたが、市場の方から『是非に!』と言って頂き、大學堂での開催が実現となった。
県内外からずっと愛されてきた北九州の台所、旦過市場。何とか1日でも早く営業を再開し、活気を戻したいと願う市場の方々の想い、同じく1日も早い復興を願う人々がそこに集い、伝説のライブとなった。

現場に入るまではどんな所で踊るのか、どれ位のスペースがあるのか、全く掴めず不安との戦いだった。足場はコンクリートででこぼこだし、傾斜があったりでまともにピボットをする事も困難だった。
でもライブが始まったらそんな事はどうでも良くなった。普通にお買い物に来た地元の方、たまたま通りがかった観光の方が市場を行き交う。
普段の、普通の生活がそこには流れていて、その中にタンゴが『ちょいと失礼!』と、お邪魔させて貰ったのだ。
もうライブが始まる頃には、観る人、踊る人、通りすがりの人、人!人!人!
踊るスペースは踊りながら確保していくスタイル(笑) 人だけでなく、人々の想いも、私達の想いも、交差して絡まって、大きく膨らんで、今までに体感した事のない人間が持つエネルギーの大きさを感じた。人間の底力。その人々を結ぶタンゴ。その中にいれて、ただただ幸せだった。

長くなったが、話を戻す。
どこが『変人』なのか。
その説明はもう割愛しよう。

御三方を見ていて、人生を楽しむのが上手いなぁと思う。(もちろん影の努力があり、苦難を乗り越えてのそれだけど。)
一度きりの人生、楽しまな、損やろっ!っていう背中をしている。
どうやら私は3人に憧れているらしい。
うん。一度きりの人生、私も変人になろう。

Magi

村山マーシー雅史さん(マーシ&マギ) 後編

タンゴの節句2023に参加してくださるダンサー「マーシー&マギ」の村山マーシー雅史さんが語るトリオ・ロス・ファンダンゴス、後編です。どうぞお読みください。前編はコチラ

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「すんまへん。マーシーマギさんはミロンガをやっておますやろか?」

こんな嘘くさい関西弁だったかは定かではないが、私たちのミロンガで演奏させてほしいとの電話だった。

当時、すでに東京のミロンガシーンを席巻していたあのトリオ・ロス・ファンダンゴスが、タンゴダンサーとしてもミロンガのオーガナイザーとしてもまだまだ未熟だった私たちに白羽の矢を立ててくれたことが、たまらなく嬉しかった。

それ以来、2016年から毎年東京ツアーの際は必ず私たちのミロンガで演奏してくださるようになった。ファンダンゴスさんと一度途切れかけたご縁は、その度に強固なものとなっていった。

リリアナ先生はファンダンゴスさんの演奏を祈りだと書かれていた。全く同感で、毎年レパートリーを増やし日本中のミロンゲーロ、ミロンゲーラを熱狂の渦に巻き込むあの魂の演奏に救われた人はたくさんいると思う。

私もそのひとりだ。

ファンダンゴスの演奏は「いのち」そのものだと思うことがある。もっというと、いのち「を」懸けているのではなく、いのち「に」懸けている。
人間のいのちに。懸けてくれている。それほどタンゴを愛する人々を心から信じてくれている。

だから私たちは御三方の演奏で踊るほどに、救われた気持ちにさせてもらえるのだ。

今年もタンゴの節句が近づいてきた。

まだまだ世の中が混沌としていた昨年2022年3月、日本タンゴ界の重鎮ケンジ&リリアナのケンジ先生の「マーシーマギも一緒に九州行く?」の一言で同行させてもらえることになった。

ケンジ&リリアナ先生とトリオ・ロス・ファンダンゴスさんが20年大切に育ててこられたタンゴライブショー「タンゴの節句」への出演。

この経験はこれまでの人生の中で一二を争うほどの宝物になり私たちはタンゴの道を歩んでいく覚悟を新たにすることができた。

昨年の「ミニタンゴの節句2022」のことは、マギさんが詳しく書いてくれてるのでぜひ読んでほしい。

御三方と同じ時、同じ場所にいれることの幸運と感謝を噛み締めて、これからもファンダンゴスの音楽を浴び、踊り続けたい。

ありがとう。トリオ・ロス・ファンダンゴス。
これからもよろしくお願いいたしマーシー。

おわり