ブエノスアイレス2006 #4

ブエノスアイレス2006 #4

最後の日々

最後の演奏は、帰国の途に就く前日の6月18日。ブエノスアイレス市内の観光名所のひとつ「日本庭園(ハルディン・ハポネス)」でのコンサート。

散策用の小道の脇には松の木並木。大きな鯉が群れ泳ぐ池の上には橋がかかっていて。この日本庭園の中にある会館のホールが、コンサートの会場。一階には日本料理を出すレストランなどもある。二階のホールは何となく少し古い旅館やホテルなどにある大広間のような風情で不思議に懐かしい。

コンサート直前、ケンジ&リリアナの二人は庭園で、客集めのために踊り、ぼくがヴァイオリンで伴奏をすることに。晩秋のブエノスアイレスはもう肌寒い。風邪気味のケンジさんは衣装の下にセーターを着込もうとするが、不恰好に着膨れしてしまい、渋々セーターを脱ぐ。同様にリリアナさんも風邪気味ではあったが、ステージ衣装そのままの格好で野外で飛び出していく。さすが。

ヴァイオリンでジンタの旋律を奏でながら練り歩く。池にかかった橋の上で2人は踊ることに。ならば、と「ラ・クンパルシータ」を即興で。お客さんたちが足をとめ、嬉しそうに見入る。「これからホールでタンゴの演奏があります。無料ですのでぜひおいでください!」と今回のツアーの段取りをしてくれたダンサーのミホがすかさずアナウンス。お客さんをホールへ誘導する。この呼吸、まさに「一座」であります。

そして最後のコンサートが開演。サンテルモ・コロニアルのイネスの息子さんエミリアーノが通訳を引き受けてくれていて心強いが、ケンジさんはやはりすこし勝手が違うのを感じ取ったらしい。近寄ってきて「いつもの調子でやってえな」などとけしかける。お客さんは楽しんでくれて、演奏もぐんぐん乗ってくる。

大喝采のうちに予定していた曲目は全て終了。「オートラ!オートラ!」アンコール、何をしましょうか、とみんなに尋ねてみる。「ラ・クンパルシータ!」「ミロンガ!」あちこちから声が挙がる中、突如「マーラフンタ!」とケンジさんの声が飛ぶ。しかも日本でこの曲の「前説」でいつもやってた悪代官と悪徳商人の悪巧みトークもやれ、ということらしい。ぬぬぬ、地球の裏側でアレをやるのか、ええいままよ、アンコールだやってしまえ。「越後屋、そちもワルよのう」「いえいえお代官様程ではございませぬ」「なにをこやつ」「ぬわはははははーっ!」ハポンのサムライ番組のマネだ、ということがどれだけ伝わったのかはわからないが、意外にもみんな大爆笑。この部分だけがなんとなんとみほさんのブログにアップされているのであった。コチラ(「ファンダンゴス一座ブエノスアイレス興行」をクリックね)。お客さんを演奏中の笑い声係に巻き込んでの演奏も、これまたオオウケ。

終演後、たくさんの人たちがCDを買ってくれた。ありがたやー。みんな口々に「ムイビエン!」「ムイリインド!」と声をかけてくれる。ブエノスアイレスの人々が本当に喜んでくれたのだ。ほんとうにうれしい、最終公演だった。

終演後。上左:日亜タンゴソニドス、PAゴンサロとエジイ。ゴンサロはツアーに同行したエジイと完全に意気投合。こっちで一緒にタンゴのPAの仕事やろうや、なんてもちかけてた。にゃはは。
右:チノ!今回のツアー中、ミホさんと共にわれわれ3人を父親のような眼差しで見守ってくれた。

リリざーんす!

そして「一座」全員集合。一番左がミホさん。おかげですてきなブエノスアイレスデビューができました。何もかも、ほんとうに、ほんとうに、ありがとう!

後日この日の模様は邦字新聞「らぷらた報知」に載った。

そして帰国当日、空港に向かう直前まで、ドレゴ広場に面したカフェでやっぱり肉を食うのであった。うまー。

「ブエノスアイレスに一緒に行くならファンダンゴスと。ほんとうにそう思ってるんだ。」ケンジさんが静かにそう言ってくれたのが昨日のことのよう。気がついたらほんとうにケンジ&リリアナの2人と一緒にブエノスアイレスの街を歩き、そこで一緒にうまいものを飲み食いし、同じ空気を吸い、そして一緒にタンゴを演ってた。ありがとう、ケンジ&リリアナ。心の底から、ありがとう。ぼくらはほんとうに、シアワセモノです。

かくしてトリオ・ロス・ファンダンゴスの初めてのブエノスアイレスツアーは大成功のうちに終了。行く前にはいなかった友が、今はブエノスアイレスにいる。行く前には知らなかったタンゴが、今はブエノスアイレスに、ある。だから行く前よりも、今のほうが、何倍も何倍も、ブエノスアイレスが恋しい。

チャオグラシアス、ブエノスアイレス!
アスタルエゴ、アミーゴス!

オマケ。ボカ地区カミニートのカフェのモイラちゃんと秋元多恵子。わはは。

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