中田リリアナさやかさん 1(2022/4/13)
「きれいな背中してはりますね。なにかやっとられるんですか?」
「アルゼンチンタンゴを踊ります」
谷本仰さんとはじめて交わした言葉。
1998年の長野県松本市、『渋さ知らズ』の路上練り歩きの時だ。
谷本さんは私の後ろでバイオリンを弾いていた、切なく激しく。
それから渋さ知らズの関西方面ツアーに参加していた谷本さんと、テントや屋外の打ち上げの席で
「タンゴやってはりますか?」
「やってますよー」
とか話しているうちに、焚き火で喘息がひどくなって谷本さん自ら救急車を呼んで緊急入院をする夜もあった。
谷本さんから1通のメールがきた。2002年のはじめである。
「タンゴの節句ツアーという名目でトリオ・ロス・ファンダンゴスの九州ツアーをします。つきましてはケンジ&リリアナに踊ってほしいんですがご都合いかがでしょうか?」
へ?あのー、私達のタンゴダンスご覧になったことないですよねえ。
「大丈夫です。渋さ知らズで踊ってるし面白いと思います!」
かくしてケンジさんと降り立った福岡空港。
到着ゲートにかすかに流れる『タキート・ミリタール』
ポータブルプレイヤーを抱えた音響の江島さんとトリオ・ロス・ファンダンゴスのメンバーが、タキート・ミリタールのレコードをかけて待っていてくれたのだ。
ケンジさんと私は一気に楽しくなってこれからのツアーの幸せな予感しかなかった。
プログラム作りからはじまるリハーサル。
音合わせ、演奏の緩急、ダンスのタイミング。
こーきたらこーやん、ちゃうやんこーやん、いやこれやん、
と、芸人さんのネタ練りのそれで、私たちはますます楽しくなってきた。
スタッフさんたちの細やかなそして確かなはたらきで、いい演奏をしたと思うし、悪くない踊りができたと思う。
本番が終わるとスコンと忘れる私なので詳細は省かせていただくが、お開きとなったときのワインのたまらない美味しさと多幸感は今も鮮やかだ。
ホルモン鍋という世にも美味なる食べ物を味わったのはタンゴの節句。
焼肉『味の明月』で
海鮮丼屋で
アイリッシュパブで
安いうまいきたない愛想ない焼き鳥屋で
あのイタリアンレストランで
中華の『梅子』で
『ニイハオポンユウ』で
久留米のラーメン屋で
ステーキ屋で
差し入れでいただいたおいしいパン、サンドイッチ、お腹にやさしく舌が喜ぶ手作りのお惣菜、お漬物
メンバー自ら差し入れる馬刺し
より良い前メシのために
より良い打ち上げのために
鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のように、ガンガンに飛ばしました。
多少床がダンス向きではなくても、
多少身体にトラブルが発生しても
お客様の中で演奏し踊り、御輿が出る勢いの興奮の舞台は、わたしたちの生きる意味でした。